第100回箱根駅伝は大方の優勝候補筆頭であった駒澤大学を抑え、青山学院大が優勝。


駒澤大も決して悪くは無かったと思いますが、青山学院大が上回りました。

私なりには、3区で青山学院が逆転した事で駒澤の歯車が狂ってしまったかな?と思います。

結果論ではありますが、駒澤大の1区と3区の配置が逆だったらもう少し違った結果になった可能性もあるかと思います。

また、4区の入りも明暗を分けたポイントに見えました。青山学院が2分40秒程のハイペースで入り駒澤との差を一気に広げました。

全ては結果論です。


同じく優勝候補の中央大もコンディション不良でまさかのシード落ち。1~3区の選手が実力の割に振るわぬ内容でコンディション不良と見ていましたが、監督が一時は棄権さえ考えていた中では、よく襷を繋ぎきりました。


城西大と東洋大は大健闘だったと思います。

特に東洋大は大会前の予想ではシード危うしとの見方が多かった中で4位。駅伝力の高さが伺えます。


さて、東海大山形OBとして、今年は3名のエントリーで2名が出走しました👏


◆神奈川大4年の大泉真尋

5区の山登りを懸命に登りました。

12月初旬はコンディション不良を伝え聞いており、出走は難しいかな?と思っていましたが最後の箱根に入学時に期待されていた山登りで出走。

結果は振るわなかったですが、しっかり襷を芦ノ湖に運んでくれました。

高校の頃は少々ムラの有るタイプでしたが、1年~3年で成長が見て取れる選手でした。

彼を語る上で西京極のサブトラ事件は外せないエピソードですね😁

4年間で2回の出走は彼の今後の人生で大きな財産になるでしょう。


◆國學院大2年の鎌田匠馬

8区を区間6位の力走。

昨年は怪我故障で苦しんでいました。

今シーズンも前半戦は振るわずに苦しんでいましたが、夏以降に復調。出雲、全日本とエントリーされながらも出走叶わず、悔しさを滲ませながら連絡くれていましたが、遂に出走。

苦手にしていた登り遊行寺坂も有る難コースを國學院大新記録で駆け抜けてくれました。

彼は高校の頃から表現するならば『侍』でした。

走る事に関しては妥協無しでした。

目指している所も明確で常に『覚悟』が定まっている選手。

思い返せば『覚悟』が定まっている『侍』の要素を持っている本校の選手は大抵箱根駅伝を走り、活躍していますね。

来シーズンも怪我に気をつけながら、國學院大の初優勝に貢献出来る選手に成長して貰いたいと思います。


◆山梨学院大4年の川原正輝

主将として、最初で最後の箱根に懸けた男。

出走予定や、出走微妙と伝え聞く情報では当落線上を往き来しながらで、私も最後まで出走を願っていましたが残念ながら叶わず…。

仕方ない事とは理解していても、やるせない気持ちで一杯でした。

彼の高校時代は主将としてチームを思う気持ちが強く、時に厳しくチームに接する時もありました。

選手ミーティングをマメに開催し、チームの意思統一を徹底していました。結果として当時の山形県最高記録で都大路を走り切る事が出来ました。

移動の際には、必ずと言って良いほど私の運転する助手席に乗り込み、陸上について色々と語りあった選手。大学進学後もマメに連絡をくれて苦しみながらも成長している姿をたくましく思っていました。

そんな彼が最後の箱根路を走るのなら、弾丸ツアーででも現地で応援したかったのですが、叶わず…。

彼自身が一番悔しいでしょうが、精一杯やった結果です。この経験も今後の人生の財産です。

胸を張れ!



今回の箱根駅伝、230名の選手が出走しましたが、138名の選手はエントリーされながら出走叶わず涙を飲んでいます。

チーム内でエントリーされなかった選手、予選会を突破出来なかったチームの選手を含めるとどのくらいの選手が夢叶わなかった事か…。

そんな中でもチームのサポートに徹したり、沿道で補助員となったり、様々な形で箱根駅伝に携わっています。


様々なドラマがある箱根駅伝から学び、今年の高校生の成長に繋いで行ければな。と改めて感じた大会でした。


箱根駅伝が終わるとお正月も終わりの印象です。

もう少しだけお正月休みがあるので、英気を養って仕事始めに備えたいと思います。