「楽しむ」ために石油は必要か | ポスト石油時代

「楽しむ」ために石油は必要か

「楽しむ」という言葉は実に深遠な言葉です。人生を楽しむ、趣味を楽しむ、遊びを楽しむ、飲み会を楽しむ、仕事を楽しむなどいろいろな「楽しみ」がありますが、ここでは最も基本的な「楽しみ」であると思われる、可処分時間をどうやって「楽しむ」か、ということに焦点を当てて「楽しむ」ということの本質について考えたいと思います。


私にとっての可処分時間においての一番の「楽しみ」は、友達や好きな人と会って食べたりしゃべくったりすることです。楽しい会の後はとても幸せな気分になります。また、趣味でいえば、踊りを踊っているときや歌を歌っている時なども非常に楽しくて幸せです。好きな歌手のライブに行くときなどもこの上なく楽しくて幸せな気分になります。


また、家でテレビを見たりインターネットに繋いだりすることも楽しいと思います。しかし、実際に友達と直接会って話したり、知りたいことを直接人に聞いたり自分の足で調べたりすることに比べて、テレビやネットはどうしても簡単すぎて「楽しい」度が低くなってしまう傾向があります。


何を言いたいかというと、「楽しむ」のに文明の利器は本来必要ないということです。人間の本能に近い、最も人間らしい楽しみ方に近づくにつれてその傾向は強くなってきます。従って、食欲や性欲などはその最たるものであって、いつの時代でも「楽しみ」のトップにランキングされるわけです。

(余談ですが、睡眠欲を満たす睡眠も本来は楽しむものであって、毎晩睡眠を削っている私のライフスタイルは見直さないといけません…orz 笑)


その次にランクインされるのは、「知的活動をしたい欲」を満たすものだと思います。話をしたり、本を読んだり、映画を見たり、文章を書いたり、クリエイティブなことをしたりなど、人間であるということを存分に利用して知的なことをすることによって「楽しむ」ことであり、知的な楽しみといえるかもしれません。この場合も、楽しむために必要なものは「人間」であり、機械やコンピューターが必要なわけではありません。機械やコンピューターはあくまで「手助け」をしてくれるだけです。機械と話したり機械が書いた文章を読んでもつまらないだけです。


いや待て、今の石油時代の世の中は科学技術の発達のおかげで便利な世の中になったから、今の世の中のほうが昔よりも楽しいはずだ、と思われる方もいるかもしれません。しかし単純に、便利であるからより楽しい、ということにはなりません。むしろ逆で、不便であるからこそより楽しい、というほうが実は正しい場合が多いのです。


これは人間の心理を考えれば当然で、困難があれば試行錯誤して問題解決しようとしたりすることによって、より多くの「楽しむ」チャンスがあるからです。平凡な人生と波乱万丈な人生では、波乱万丈のほうが圧倒的にいろいろな出来事を経験し「楽しむ」機会が多いでしょう。アスファルトの敷かれた平坦な一本道を歩いて家に帰るのと、遠回りをして知らない場所を通って上り下りはあれどもいろんな花を見たり新鮮な風景を見るのとでは、どちらのほうが楽しいでしょうか。


文明の利器で「便利」の追求のために我々がやってきたことは、鉄道や道路を造ったりトンネルを掘って回り道をしなくてすむようにしたり、水道を通して蛇口から常に水が出るようにしたりといったことの延長です。新幹線や飛行機のおかげで短い時間で行きたい所に行けるようになりましたが、途中の景色や自然を楽しむ機会は少なくなってしまいました。東海道五十三次を名所を楽しみながら行くとこは今ではほとんどありません。また、水をいちいち井戸や川から汲んでこなくてもよくなりましたが、命の源泉としての水を通して自然と対話して自然と戯れる機会はなくなってしまいました。


電話やインターネットを繋いで直接人と人が会わずにすむようにしたのも同じことです。これらの文明の利器のおかげで、実際に人に会わずにコミュニケーションすることができるようになりましたが、人と直接会うということに関連する楽しみは確実に減っています。遠くに離れていても話をでき、鉄道や車で簡単に目的地に行けるので、遠方に辿り着いた時の感動や達成感もあまりなくなってしまいました。


残念ながら、今日の社会の構造では、石油をベースとした文明の利器を使わずに生きていくことはできません。しかし、ここで大事なのは、だからといって「楽しむ」ために文明の利器を使わなければならないというわけでは決してありません。また、文明の利器を使ったほうが「楽しい」というわけでもないし、むしろ使わないほうが「楽しい」ケースは多いのです。


このジレンマを解決するのは大変だと思います。しかし、問題解決することもまた人間の知性をくすぐる「楽しみ」の対象であるので、ここであきらめるわけにはいきません。要は、回り道を見つけてその道のアップダウンや風景を楽しめばよいのです。そのためにまず、日々の生活を「楽しむ時間」とそれ以外の仕事などの時間に分けて、「楽しむ時間」を文明の利器に頼らないことから始めれば、生活自体を石油に頼らないためのヒントが生まれてくるような気がします。「楽しい」ということを肌で実感することで、石油に依存しないことに対するアレルギーをなくすことができるのではないか、と考えます。


まず小さなことから。たとえば、テレビの旅行番組を見て旅行に行った気になるかわりに、近場でもいいので知らない場所を探索してみる。ネットのSNSで旧友に再会した気になって当たり障りのないコメントを書くかわりに、実際に会って忌憚なく語り合う。任天堂DSで一人でゲームをするかわりに、トランプや花札や百人一首で友達や家族とみんなでゲームを楽しむ。正月にテレビを見るかわりに初詣に行く。などなど、少し考えただけでもいろいろ出てきます。想像しただけでも楽しくなってきませんか?