あまりに、綺麗な月だったので、近所の洗足池まで散歩に行ってきた。
街頭の灯りと、満月に近い月の明かりが水面で反射し、池のほとりの漆黒の闇をキラキラと飾っていた。
ここには、勝海舟のお墓もある。
晩年、洗足池のほとりに住んでいたようだ。
その昔、勝海舟も、洗足池に映る月を眺めていたのだろうか。
と、そんな事を思いながら池を眺めていたら、最近、やっと「時間」を長いスパンで考えられるようになってきた自分に気づいた。
毎日、忙々と生活していると、目先ばかりを見てしまう。
ランチに何を食べようか?今晩は何を飲もうか?
もう少し先の場合は、締め切りまで一週間。一年後にはアルバムを作ろう。10年後は何をしているのだろう。
それはそれで大切なのことなんだけど、「時間」は自分が生きている時間以上に流れている。
坂本竜馬が日本の未来を見ようとしたように。
科学者が、自分の生きている時間に分かるかどうかわからない、宇宙の謎に挑戦しているように。
ガウディが、自分が生きている時間に完成することはない、と分かりながらサクラダファミリアを創り始めたように。
ジョン・レノンが、自分の生きている時間にできるかどうかわからないけど、平和な世界を願ってイマジンを歌ったように。
そんな事を考えるという事は、ボクも、長いスパンで音楽を考える時期にきているのかもしれない。
ライブのように、一瞬の煌きの音色は、儚くて美しい。
何百年も先の未来まで煌く音色は、はたしてどんな美しさなのだろうか?