新型コロナウィルスが蔓延する最中、令和2年11月中旬に、筆者は慶応大学病院で腹部大動脈瘤の手術を受けた。病院はコロナ感染を極度に警戒し、入院患者の行動に神経をとがらせていた。人との対話等が制限され、家族との面会も禁じられて、毎日がベッドに釘付けされているような生活であった。
入院は僅か2週間余りの短い期間であったが、運動不足が災いし、退院する時は身体全体の筋肉が弱まって一足動くのも苦労するような状態であった。
医師からはリハビリのためにできるだけ歩くように言われていたので、退院後は自宅近くの公園に行き、日向ぼっこをするのを日課にしていた。東京は人口過密とはいえ市街地のいたる所に小規模な公園が整備されていて都民の憩いの場になっている。日光を浴びることは、骨を強くするなど健康にも有効で、3密遵守で時間を持て余している年寄りには格好の嗜みである。
筆者が毎日のごとく訪れる公園の一隅には、大きな桜の古木があり、それにちなんで公園は「富久さくら公園」と称されている。古木の由来については、この場所にかつて国家公務員宿舎があり、ここ住んでいた富久小学校の児童とその父兄が「昭和26年(1951年)9月、サンフランシスコで日米講和条約が調印されたことを記念して植えられたものである」との説明書きが残されている。
そして風評に近い不確かな噂によれば、この宿舎には外交官であった父親とともに、今上皇后の雅子妃陛下が住まわれていたこともあったとのことである。それゆえ、この公園は「さくら公園」でなく、「雅子妃記念公園」とでも名付けてよいような由緒ある公園である。
雅子妃陛下は、日本人であることを象徴するような慎み深いご性格であり、こんな名称を付けられるのを好まないであろうが、この公園に集う児童やその両親、そして我々年寄りと皇室の関係をより親密なものにするため、公園管理者である新宿区には名称の変更をお願いしたいところである。
この「雅子妃記念公園」、いや正確には「富久さくら公園」には、今日も大勢の近隣の子供たちや父兄が集まり、楽しい時間を過ごしている。
