若い頃、論理的であることを拒絶していた時期がある。
何かを選択する時に、論理的な根拠を持つということが、失敗に備えた言い訳を準備する行為に思えたからだ。
A or B ? でAの方が良い理由を論理的に説明できたとする。それを以てAを選択しても、世の中何がどう転ぶか分からないので、結果的にはBを選んだ方が良かった…ということは普通に起こり得る。
その時、Aを選んだ理由が、「Aを選んだという自分の失敗」を許す言い訳になってしまう。仕方なかったよね、だってこんなにちゃんとした理由があったんだもの、と。論理的な根拠が、結果に対して責任を持つ覚悟を邪魔する。
そんなふうに感じていた。
根っこでは今も変わらないが、それだと世の中生きづらいことも分かってきた。失敗を他人に許してもらえないとやっていけないからだ。自分の嫌いなタイプの人を味方にするために、ちょっとだけ自分の嫌いなことを頑張らないといけない。