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思ったことを綴ります

その時思ったことを、思ったままに、綴ります
家庭のことや日々のニュースについてが主になると思います

私は子供のころ、書道を習っていた。

4歳のころから習い始め、小学三年生には

 

硬筆 5段

毛筆 1級

 

となっていた。

 

=引用ここから=

 

Search Labs | AI による概要

小学校3年生で書道硬筆5段、毛筆1級というのは、非常に素晴らしい成績です。一般的に、書道の段級位は、級から始まり、1級の次は準初段、初段…と進んでいきます。小学校3年生で5段に到達するのは、相当な実力と努力が必要です。また、毛筆1級も同様に、高いレベルであると言えます。

 

=引用ここまで=

 

そう、確かに当時もそう言われていた。

硬筆・毛筆どちらも、あと1つ上がればいわゆる「大人の部」に入れると言われていた。

私はさらに努力しようと思っていた。

 

 

だが、そこで悲劇が起こる。

 

 

母親:「あんた、今月で書道辞めて」

 

私:「え?うそやろ?」

 

母親:「そう。いいやろ、あんた最近あんまり書道行ってないし」

 

当然、事実無根である。こんな時にさぼるなんてありえない選択肢。

 

私:「何言ってるの?いま私は大事なところで…」

 

母親:「お金がないから何を言っても無理やで」

 

私:「…は?」

 

母親:「しゃあないやろ!ないもんはないんやから!」

 

面倒くさそうに、母は答えた。

私はしばらく無言になり、やがてこう答えた。

 

私:「………わかった」

 

 

当時小学生の私が、家が貧乏であると知っている私が、どうして逆らえようか。

 

「お金がない」

 

確かにこの言葉の意味は、当時から身に染みてわかっていた。

 

 

バブル期であるにもかかわらず、うちだけ着た切り雀。

家はボロアパートで2K。風呂もなし。銭湯に行くにも月に2,3回は金がなくて入れない日もある。

食事は卵ご飯かラーメンのみ。

2,3か月に1回は夕食抜き。理由は給料前だから、お米を買うお金もないそうだ。

 

 

 

母親:「お金がないから米が買われへん。お母さんは今日1日食事抜きやで。あんたら(私には弟がいる)はいいよな、給食があるんやから」

 

 

 

私は小食のため、給食も半分くらいしか食べられなかったため、こまめに食べるのがベストの体。

なのに、もともと卵ご飯かラーメンしか選択肢がなく万年栄養不足だというのに、数か月に1回とはいえ夕食なしの日もある。

 

こう書くと朝食があるかのようだが、私は朝食は気分が悪くなるので食べないことにしていた。

だから、そういう日は1日1食となってしまうのだ。

 

 

 

そんなことも知らない母は私に安易に「給食があるんやからいいよな」と宣う。

そんな家だったから、「お金がない」というのは、私に二の句を告げさせない最強の魔法の言葉だった。

 

 

 

そして、書道の先生に辞めることを告げたのも私だった。

母は面倒くさがって、「辞めることはあんたが言いに行きや!」と言った。

 

 

書道の先生は、最初怒っていた。

 

先生:「辞める?もう少しで大人の部になれるって言ったやろ?どういうこと?」

 

私:「…母がお金がないからもう月謝が払えないって…」

 

先生:「…………」

 

数秒か、数分か…長い沈黙があった。

 

先生:「…わかりました。今までよく頑張りましたね」

 

私は悲しくて、悲しすぎて、先生の前では泣けなかった。

そして、書道教室を出た時、とめどなく涙があふれた。

 

 

惨めだった。

お金がないことが、こんなに辛いことだったなんて。

 

 

着た切り雀でも、たまに家賃が払えなくて大家さんがうちのドアをどんどん叩きながら怒鳴り込んできても、

よその子と違っておもちゃもほとんど買ってもらえなかったことも、

服は毎日同じで、風呂も月に数回行かないから、「臭い」と言っていじめられたことも、

ずっと耐えてきたけれど、これは酷かった。

 

 

私の5年間は何だったのか。

そもそも私に書道を習えと言ったのは母だったのだが…

 

 

私はそれから、努力するのを止めた。

努力しても報われないことがあるのを、小学3年生で知ったからだ。

 

 

無気力になり、学校をさぼりがちになった。

私はがっつり昭和世代だから、学校をさぼるというのはただ単に怠け者だと解釈された。

理由なんて聞いてくれなかった。

 

 

親への反抗心からか、一生懸命さぼろうとするんだけど、浅はかで頭の悪い私は上手にさぼることができずにすぐにばれてしまい、怒られる羽目に。

学校ではいじめられるし、友達もいないし、どうせ勉強しても貧乏だから大学には行けない。高校に行けるかも怪しい状況で勉強したいと思うはずがない。

そんな状況で、だれが学校に行きたいと思うのか。

 

 

でも、そんなこと、親はお構いなしだった。

親の言葉はいつも一緒。

 

 

「だって、(そんな状況になったのは)あんたが悪いんやろ」

 

 

何をしても、しなくても、いつも私が悪かった。

私はなぜ自分が悪いのかわからなかった。

 

親は、ちゃんと説明しているつもりなのかもしれないけど、

身に覚えのないことで怒られたり、

「それがどうしたの?」というようなことで怒られたり、

私がいじめられたと言ったら「あんたが悪いからやろ?」と言われ、

とにかく毎日理不尽な目に遭っていた。

 

 

これは、今でいうDVに当たるんだろうか?

もしそうだったとしても、今更なんだというのか、とは思うんだけど少しは溜飲が下がる。

私が悪いんじゃなかったんだと思えるから。

 

 

時代も悪かった。生まれた家も悪かった。結局運が悪かった。

 

他にもいろいろあるけど、今回書きたかったことは一つ。

 

書道で大人の部に入っていれば、資格も取れ、今頃は書道師範となって書道教室でも開いて、子供に教える立場になっていたかもしれない。

 

私は、子供に教える、というのが好きだった。

だから、当時の夢は「学校の先生になる」だった。

 

 

小学三年生だから、書道の先生になって食べていけるなんて考えたこともなかったんだけど、

そんな選択肢があったと知っていたら、もうちょっと粘ったのかもしれない。

 

 

けれど、性格なのか、環境なのか、あるいは両方のせいか、

私は何でもすぐに諦める人間だった。

 

 

あの時諦めなければ、どんな人生が待っていたんだろうか。

 

 

私は基本、過去に戻ろうとは思わない。いい過去なんてなかったから、戻る必要はない。

でも、このことに関してだけは、やはり後悔している。

たとえ無駄だとしても、もう少し逆らってみればよかったのではないだろうか。

そう考える時が、今でもある。

 

 

今更もうどうしようもないことなんだけど、切にそう思う。