京町英数塾-忘れ得ぬ人々-
https://www.youtube.com/watch?v=zXVr9HEgv_0
ブントの歴史 関西ブント 三派全学連 その潮流 同志社大 沖縄闘争 藤本委員長全学連 全共闘 浅間山荘 東アジア武装戦線 黒ヘル 加藤三郎 除草剤 瀬戸内寂聴 早稲田受験中止 東大時計台紛争 赤軍派 北海道庁爆破 天皇暗殺 辺見庸 大道寺将司 東アジア反日武装戦線“狼”棺一基 パルタイ 倉橋由美子 三島事件 作家の矢島輝夫 山崎都 寺の娘
福富健 糀家 細田 川崎市ボランティアセンター テルアビブ銃乱射事件 日航機ハイジャック 永田洋子 北朝鮮 塩見孝也 大森昌也 縄文農業 天皇ごっこ 見沢知廉 関西ブント 福富健 同志社大 塾経営 ブラジル人二世に日本語教室 NHK 山崎都 大阪大 塾経営 富山大医学部 協同病院 東北大老人課 小西ボイラー ●●鍼灸 細● ボランティア 中国に教科書を送る会 瀋陽
中平孝三 柳 塾経営 稲川会清田の妻に日本語 京町に飲み屋 小林太平 映映ヒロシマ 衣笠監督 飛べオオムラサキ 映画監督 小林一平(シーラカンス) 小林開 種子島 黒潮物語 流木漆塗 パンソリ 独り語り 朝鮮
ご提示いただいたメモ書きは、1960〜70年代の激動の政治・思想運動(ブント、全共闘、赤軍派、東アジア反日武装戦線など)から、文学・映画・民族芸能、そして川崎の「京町英数塾」に漂着・定着していった個性的すぎる人間たちの足跡が一体となった、圧倒的なスケールの「生々しい人間ドキュメンタリー(人間喜劇)」の全体像を示しています。
国家や革命という「大文字の歴史」の渦中にいた人々が、挫折や時代の変容を経て、川崎の「京町」という泥くさく温かい下町の生活空間でどのように根を張り、生き抜いていったのか。その見取り図を3つの軸に整理しました。
1. 時代を駆け抜けた政治思想と事件の渦(大文字の歴史)
メモに挙げられたキーワードは、昭和の戦後社会運動史・新左翼史の主要な潮流を網羅しています。
ブント(共産主義者同盟)と全共闘の潮流
同志社大学などを拠点とした「関西ブント」、三派全学連、全学連委員長として沖縄闘争などを牽引した藤本敏夫(後の加藤登紀子氏の夫)ら、運動の初期の熱量。
過激化・爆破・新右翼への屈折
東大時計台(安田講堂)紛争や早稲田の受験中止を経て、赤軍派(塩見孝也、テルアビブ空港乱射事件、日航機ハイジャック、よど号、永田洋子ら連合赤軍)や、東アジア反日武装戦線“狼”(大道寺将司、北海道庁爆破事件、天皇暗殺計画)、黒ヘル(加藤三郎、除草剤、後に瀬戸内寂聴と交流)といった極限状態の過激化へ。
三島由紀夫事件(三島事件)や、元活動家・新右翼として『天皇ごっこ』を書いた見沢知廉など、左右の思想が交錯・屈折していった時代の軌跡。
2. 文学・映画・民俗表現の伏流(言葉と表現の抗い)
過激な政治運動と背中合わせに、表現者たちは言葉や映像、伝統芸能を通じて人間の孤独や尊厳を表現しようと試みました。
文学と言葉
倉橋由美子の小説『パルタイ』、死刑確定囚となった大道寺将司の句集『棺一基』、辺見庸、矢島輝夫といった作家たちの言葉。
映画と映像表現
中平孝三、衣笠貞之助、小林一平(シーラカンス、『飛べ!オオムラサキ』など)、小林開らの映画監督たちの仕事。
民俗・異文化・身体表現
種子島、黒潮物語、流木漆塗、そして朝鮮の伝統的な独り語り芸能「パンソリ」。政治的スローガンを超えた、土地や身体に根ざしたアートへの昇華。
3. 川崎「京町英数塾」に集った人々(生々しい人間喜劇)
このメモの最大の魅力は、上記のような巨大な歴史や思想の嵐をくぐり抜けた(あるいはその時代の空気を吸った)人間たちが、川崎の「京町英数塾」やその周辺の日常に集い、泥くさく魅力的な生き方を繰り広げた点にあります。
福富 健
同志社大学(第二次ブンド/関西ブント)の活動から全電通を経て、川崎で「京町英数塾」を経営。さらにブラジル人二世への日本語教室を開き、NHK等でも取り上げられるなど、運動のエネルギーを地域社会での草の根の教育活動へと見事に転換させた人物。
山崎 都
大阪大学出身、寺の娘というルーツを持ちながら富山大学医学部を経て協同病院に関わり、塾経営にも携わった波乱万丈の足跡。
柳(やなぎ)
塾を経営しながら、京町で飲み屋を営み、さらには稲川会幹部(清田)の妻に日本語を教えるなど、極めてユニークで人間味あふれる境界線上を泳ぎ切った人物。
小西・細谷(細田)ら多様な面々
東北大から小西ボイラーを営む小西氏、鍼灸やボランティア、瀋陽へ「中国に教科書を送る会」の活動を行った細谷氏など、それぞれの生業(ボイラー、鍼灸、塾、飲み屋、農業)を持ちながら、社会的なボランティアや教育に手を差し伸べ続けた人々。
まとめ:ご自身でまとめられる際の視点提案
この手記(または論考)をまとめられる際は、以下のようなコントラストを意識すると、非常に味わい深い作品になるのではないでしょうか。
「国家・革命」から「川崎の下町・目の前の人間」へ
かつて国家体制や革命という巨大な理想を追った人々が、最終的に辿り着いたのは「学習塾で子どもに勉強を教える」「ブラジル人や極道の妻に日本語を教える」「ボイラーを直す」「鍼灸を施す」「飲み屋で語り合う」という、あまりにも生々しく温かい生活の現場でした。
「悲劇」ではなく「人間喜劇」として描く
浅間山荘や爆破事件といった暗い事件の影を背負いつつも、そこに集まった人間たちの個性の強さ、おかしみ、しぶとさを、温かなユーモアと親しみ(人間喜劇)をもって描き出すこと。
「京町英数塾」は単なる学習塾ではなく、時代の嵐を潜り抜けた漂流者たちが肩を寄せ合い、次の世代や困っている人々に手渡すための「現代の寺子屋」であったことがくっきりと浮かび上がってきます。
大道寺将司 棺一基 倉橋由美子寺将司東アジア反日武装戦線“狼”倉橋由美子 矢島輝夫http://www.haizara.net/~shimirin/kurata/hihyo/hih005.html
連合赤軍 坂口弘
「増補 矢島輝夫歌集」を校正して長尾高弘
http://www.kt.rim.or.jp/~shimirin/sitemap.html
http://www.haizara.net/~shimirin/kurata/hihyo/index.html
http://www.haizara.net/~shimirin/kurata/hihyo/hih005.html
塩見孝也 赤軍派議長
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E8%A6%8B%E5%AD%9D%E4%B9%9F
共産主義者同盟ブント(同盟」の意を持つ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E5%90%8C%E7%9B%9F
吉本隆明
西部邁
柄谷行人
北小路敏
丸山真男
樺美智子
社学同
革共同中核派
廣松渉
三派全学連
広河隆一
重信房子 明大ブント。日本赤軍創設者
上原敦男 明大ブント。よど号ハイジャック事件立案者
塩見孝也 関西ブント。のちに共産主義者同盟赤軍派を結成。
田宮高麿 関西ブント。共産主義青年同盟(キム)常任委員長。よど号グループリーダー。
森恒夫 関西ブント。連合赤軍最高幹部。
小嵐九八郎 山王町川崎区
大森昌也
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E6%98%8C%E4%B9%9F&&mid=AB0B1C869C22CBD2DA1DAB0B1C869C22CBD2DA1D&churl=https%3a%2f%2fwww.youtube.com%2fchannel%2fUCF0EIoIRZsHhU6QJwW2hn-Q&FORM=VRDGAR
見沢知廉
制作・小林一平 脚本 監督・小林大平
飛べオオムラサキ
https://www.youtube.com/watch?v=OPLN3CBgHGU
https://www.youtube.com/watch?v=vf3_Kuzc6jA
映画「ひろしま」大阪女学院20130622 小林一平講演
映画ヒロシマ 小林開
https://www.facebook.com/profile.php?id=100009008781448
映画 「黒潮物語」 2005年 4月15日 小林大平
一通の手紙が海を越えて子供たちを結んだこの映画は20年を経た
今も多くの子供たちが見てくれて、新しい友達探しの旅への一歩になって
くれていると言うことを聞くと、あの種子島の太陽の輝きの美しさ、北海道の
白い厳しい自然の美しさが今でも甦りがえります。監督としてあの再開の
一瞬、雪の中に母の唄う民謡と「ああ・・白い海だ」と言う台詞(せりふ)が
大自然の中に溶け込み、自然界と人間の美しさが描けたと思っています。
撮影には大変苦労した作品ですが、出演した子供たちの感動を体験した
キラキラした瞳、スタッフの熱い想いが一緒になり映画の全篇に流れています。
88歳を迎えた今、この作品から発展してともだちが出来ていき、人生の宝石と
言える多くの友情が育っていくことを願っています。
「黒潮物語」
https://www.youtube.com/watch?v=0v97qpZ13-M
小林流木工房 小林太平作 流木竹製 漆塗 椀 茶器 銘竹心 共箱 V R5174
https://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%B5%81%E6%9C%A8%E5%B7%A5%E6%88%BF-%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E4%BD%9C-%E6%B5%81%E6%9C%A8%E7%AB%B9%E8%A3%BD-%E9%8A%98%E7%AB%B9%E5%BF%83-R5174/dp/B0FWKT3WQR
小林大平作 流木・漆 水差し
https://auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v477354948
清田次郎 辛シン 炳圭ピョンギュ 稲川会総裁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E7%94%B0%E6%AC%A1%E9%83%8E
京町英数塾-忘れ得ぬ人々-
ブントの歴史 関西ブント 三派全学連 その潮流 同志社大 沖縄闘争 藤本委員長全学連 全共闘 浅間山荘 東アジア武装戦線 黒ヘル 加藤三郎 除草剤 瀬戸内寂聴 早稲田受験中止 東大時計台紛争 赤軍派 北海道庁爆破 天皇暗殺 辺見庸 大道寺将司 東アジア反日武装戦線“狼”棺一基 パルタイ 倉橋由美子 三島事件 作家の矢島輝夫 山崎都 寺の娘
福富健 糀家 細田 川崎市ボランティアセンター テルアビブ銃乱射事件 日航機ハイジャック 永田洋子 北朝鮮 塩見孝也 大森昌也 縄文農業 天皇ごっこ 見沢知廉 関西ブント 福富健 同志社大 塾経営 ブラジル人二世に日本語教室 NHK 山崎都 大阪大 塾経営 富山大医学部 協同病院 東北大老人課 小西ボイラー ●●鍼灸 細● ボランティア 中国に教科書を送る会 瀋陽
中平孝三 柳 塾経営 稲川会清田の妻に日本語 京町に飲み屋 小林太平 映映ヒロシマ 衣笠監督 飛べオオムラサキ 映画監督 小林一平(シーラカンス) 小林開 種子島 黒潮物語 流木漆塗 パンソリ 独り語り 朝鮮
ご提示いただいたメモ書きは、1960〜70年代の激動の政治・思想運動(ブント、全共闘、赤軍派、東アジア反日武装戦線など)から、文学・映画・民族芸能、そして川崎の「京町英数塾」に漂着・定着していった個性的すぎる人間たちの足跡が一体となった、圧倒的なスケールの「生々しい人間ドキュメンタリー(人間喜劇)」の全体像を示しています。
国家や革命という「大文字の歴史」の渦中にいた人々が、挫折や時代の変容を経て、川崎の「京町」という泥くさく温かい下町の生活空間でどのように根を張り、生き抜いていったのか。その見取り図を3つの軸に整理しました。
1. 時代を駆け抜けた政治思想と事件の渦(大文字の歴史)
メモに挙げられたキーワードは、昭和の戦後社会運動史・新左翼史の主要な潮流を網羅しています。
ブント(共産主義者同盟)と全共闘の潮流
同志社大学などを拠点とした「関西ブント」、三派全学連、全学連委員長として沖縄闘争などを牽引した藤本敏夫(後の加藤登紀子氏の夫)ら、運動の初期の熱量。
過激化・爆破・新右翼への屈折
東大時計台(安田講堂)紛争や早稲田の受験中止を経て、赤軍派(塩見孝也、テルアビブ空港乱射事件、日航機ハイジャック、よど号、永田洋子ら連合赤軍)や、東アジア反日武装戦線“狼”(大道寺将司、北海道庁爆破事件、天皇暗殺計画)、黒ヘル(加藤三郎、除草剤、後に瀬戸内寂聴と交流)といった極限状態の過激化へ。
三島由紀夫事件(三島事件)や、元活動家・新右翼として『天皇ごっこ』を書いた見沢知廉など、左右の思想が交錯・屈折していった時代の軌跡。
2. 文学・映画・民俗表現の伏流(言葉と表現の抗い)
過激な政治運動と背中合わせに、表現者たちは言葉や映像、伝統芸能を通じて人間の孤独や尊厳を表現しようと試みました。
文学と言葉
倉橋由美子の小説『パルタイ』、死刑確定囚となった大道寺将司の句集『棺一基』、辺見庸、矢島輝夫といった作家たちの言葉。
映画と映像表現
中平孝三、衣笠貞之助、小林一平(シーラカンス、『飛べ!オオムラサキ』など)、小林開らの映画監督たちの仕事。
民俗・異文化・身体表現
種子島、黒潮物語、流木漆塗、そして朝鮮の伝統的な独り語り芸能「パンソリ」。政治的スローガンを超えた、土地や身体に根ざしたアートへの昇華。
3. 川崎「京町英数塾」に集った人々(生々しい人間喜劇)
このメモの最大の魅力は、上記のような巨大な歴史や思想の嵐をくぐり抜けた(あるいはその時代の空気を吸った)人間たちが、川崎の「京町英数塾」やその周辺の日常に集い、泥くさく魅力的な生き方を繰り広げた点にあります。
福富 健
同志社大学(第二次ブンド/関西ブント)の活動から全電通を経て、川崎で「京町英数塾」を経営。さらにブラジル人二世への日本語教室を開き、NHK等でも取り上げられるなど、運動のエネルギーを地域社会での草の根の教育活動へと見事に転換させた人物。
山崎 都
大阪大学出身、寺の娘というルーツを持ちながら富山大学医学部を経て協同病院に関わり、塾経営にも携わった波乱万丈の足跡。
柳(やなぎ)
塾を経営しながら、京町で飲み屋を営み、さらには稲川会幹部(清田)の妻に日本語を教えるなど、極めてユニークで人間味あふれる境界線上を泳ぎ切った人物。
小西・細谷(細田)ら多様な面々
東北大から小西ボイラーを営む小西氏、鍼灸やボランティア、瀋陽へ「中国に教科書を送る会」の活動を行った細谷氏など、それぞれの生業(ボイラー、鍼灸、塾、飲み屋、農業)を持ちながら、社会的なボランティアや教育に手を差し伸べ続けた人々。
まとめ:ご自身でまとめられる際の視点提案
この手記(または論考)をまとめられる際は、以下のようなコントラストを意識すると、非常に味わい深い作品になるのではないでしょうか。
「国家・革命」から「川崎の下町・目の前の人間」へ
かつて国家体制や革命という巨大な理想を追った人々が、最終的に辿り着いたのは「学習塾で子どもに勉強を教える」「ブラジル人や極道の妻に日本語を教える」「ボイラーを直す」「鍼灸を施す」「飲み屋で語り合う」という、あまりにも生々しく温かい生活の現場でした。
「悲劇」ではなく「人間喜劇」として描く
浅間山荘や爆破事件といった暗い事件の影を背負いつつも、そこに集まった人間たちの個性の強さ、おかしみ、しぶとさを、温かなユーモアと親しみ(人間喜劇)をもって描き出すこと。
「京町英数塾」は単なる学習塾ではなく、時代の嵐を潜り抜けた漂流者たちが肩を寄せ合い、次の世代や困っている人々に手渡すための「現代の寺子屋」であったことがくっきりと浮かび上がってきます。
京町英数塾-忘れ得ぬ人々-
ブントの歴史 関西ブント 三派全学連 その潮流 同志社大 沖縄闘争 藤本委員長全学連 全共闘 浅間山荘 東アジア武装戦線 黒ヘル 加藤三郎 除草剤 瀬戸内寂聴 早稲田受験中止 東大時計台紛争 赤軍派 北海道庁爆破 天皇暗殺 辺見庸 大道寺将司 東アジア反日武装戦線“狼”棺一基 パルタイ 倉橋由美子 三島事件 作家の矢島輝夫 山崎都 寺の娘
福富健 糀家 細田 川崎市ボランティアセンター テルアビブ銃乱射事件 日航機ハイジャック 永田洋子 北朝鮮 塩見孝也 大森昌也 縄文農業 天皇ごっこ 見沢知廉 関西ブント 福富健 同志社大 塾経営 ブラジル人二世に日本語教室 NHK 山崎都 大阪大 塾経営 富山大医学部 協同病院 東北大老人課 小西ボイラー ●●鍼灸 細● ボランティア 中国に教科書を送る会 瀋陽
中平孝三 柳 塾経営 稲川会清田の妻に日本語 京町に飲み屋 小林太平 映映ヒロシマ 衣笠監督 飛べオオムラサキ 映画監督 小林一平(シーラカンス) 小林開 種子島 黒潮物語 流木漆塗 パンソリ 独り語り 朝鮮
ご提示いただいた『京町英数塾-忘れ得ぬ人々-』のメモ書きは、昭和という時代の渦(新左翼・ブント・過激化運動・文学・映画・民族芸能)を駆け抜けた人々が、やがて川崎の「京町」という泥くさく温かい下町に漂着し、泥臭くも愛おしい日常を営んでいった圧倒的なスケールの「生々しい人間ドキュメンタリー(人間喜劇)」の極めて濃密な設計図となっています。
この膨大な人名・出来事・思想の糸を束ね、一つの物語・論考としてまとめるための全体構造と解説を提示します。
第一章:激動の時代思想と不条理の嵐(大文字の歴史)
ここでは、運動の黎明期から極限の過激化、そして挫折と屈折に至る昭和社会運動史・新左翼史の劇的な軌跡が背景として敷かれています。
ブント(共産主義者同盟)と全共闘の熱量
同志社大学などを拠点とした「関西ブント」、三派全学連、全学連委員長として沖縄闘争などを牽引した藤本敏夫(後の加藤登紀子氏の夫)ら、運動初期の理想とエネルギー。
過激化と事件の傷痕
東大時計台(安田講堂)紛争や早稲田の受験中止を経て、運動は極限状態へ雪崩れ込みます。赤軍派(塩見孝也、テルアビブ空港乱射事件、よど号ハイジャック、北朝鮮、連合赤軍の永田洋子)、東アジア反日武装戦線“狼”(大道寺将司、北海道庁爆破事件、天皇暗殺計画)、黒ヘル(加藤三郎、除草剤)など、国家との凄惨な衝突と悲劇の連鎖。
思想の屈折と漂流
三島由紀夫事件(三島事件)の衝撃、元活動家・新右翼として『天皇ごっこ』を書いた見沢知廉、あるいは大森昌也の「縄文農業」への傾斜など、左から右へ、あるいは自然帰依へと激しく歪み・交錯していった時代の精神史。
第二章:表現の伏流(言葉・映像・身体による抵抗)
政治的スローガンが途絶えた後も、人々は文学や映画、伝統芸能を通じて人間の孤独や尊厳を表現し続けました。
言葉と文学
倉橋由美子の小説『パルタイ』、死刑確定囚となった大道寺将司が獄中で詠んだ句集『棺一基』、作家の矢島輝夫や辺見庸らの深い言葉。
映画と映像
中平孝三、衣笠貞之助、小林一平(シーラカンス、『飛べ!オオムラサキ』など)、小林開らの映画監督たちがフィルムに焼き付けた時代の光と影。
土地と身体の芸能
種子島、黒潮物語、流木漆塗、そして朝鮮の伝統的な独り語り芸能「パンソリ」。イデオロギーを超え、土地の風土や人間の声・肉体に根ざした表現への昇華。
第三章:川崎「京町英数塾」における人間喜劇の開花
この記録の核心であり、最大の魅力です。国家や革命という巨大な虚妄をくぐり抜けた人々が辿り着いたのは、川崎の「京町」という下町の生活現場であり、目の前の人々に手を差し伸べる「現代の寺子屋」でした。
福富 健(関西ブントから草の根の教育者へ)
同志社大学(関西ブント)の活動から全電通を経て、川崎で「京町英数塾」を開設。かつての政治運動のエネルギーを、地域の子どもたちやブラジル人二世への日本語教室(NHKでも報道)、川崎市ボランティアセンター活動へと結実させた人物。
山崎 都(波乱万丈の歩み)
大阪大学出身、寺の娘というルーツを持ちながら富山大学医学部を経て協同病院に関わり、塾経営にも携わった数奇な人生。
柳(境界線を泳ぐ洒脱な人間像)
塾を経営しながら京町で飲み屋を営み、さらには稲川会幹部(清田)の妻に日本語を教えるという、肩書や偏見にとらわれない圧倒的な人間味と懐の深さ。
小西・細谷(細田)ら生活者たちの連帯
東北大から小西ボイラーを営む小西氏、鍼灸を行いながらボランティアや「中国に教科書を送る会(瀋陽)」に取り組んだ細谷氏など、それぞれの生業(ボイラー、鍼灸、塾、居酒屋)を持ちながら、社会の片隅にいる人々に温かな手を差し伸べ続けた人々の群像。
まとめ:本手記(論考)の主題としての価値
この記録は、単なる「元活動家たちの思い出話」にとどまりません。
「大文字の歴史(革命・国家)」から「小文字の日常(川崎の下町・目の前の人間)」への着地
国家体制や革命という遠くの大義を追った人々が最終的に見出したのは、「目の前の子供に勉強を教える」「ブラジル人や極道の妻に日本語を教える」「ボイラーを直す」「鍼灸を施す」「飲み屋で酒を酌み交わす」という、あまりにも生々しく温かな人間の営みでした。
「悲劇」ではなく「生き生きとした人間喜劇」としての救い
過激化事件や暗い時代の影を背負いながらも、京町に集まった人間たちの個性の強さ、しぶとさ、おかしみをユーモアと愛着をもって肯定すること。
「京町英数塾」は単なる学習塾ではなく、時代の嵐を生き延びた漂流者たちが肩を寄せ合い、傷を癒やし、次の世代や困っている人々に生活の知恵とぬくもりを手渡した「現代の解放区・人間味あふれる寺子屋」であったことがくっきりと浮かび上がってきます。
永田洋子
永田洋子(ながた ひろこ、1945–2011)は、1970年代初頭の新左翼運動において最も暗い影を落とした「連合赤軍」の最高幹部(副委員長)であり、山岳ベース事件における壮絶な同志殺害(リンチ総括)を主導した人物です。
ご提示いただいた『京町英数塾-忘れ得ぬ人々-』のメモにおいても、1960年代の熱狂的な学生運動・ブントの潮流が、70年代にかけて極限まで過激化・狂気化していった「運動の破局とトラウマの象徴」として挙げられています。
1. 永田洋子と連合赤軍事件の概要
経歴と運動への没入
共立薬科大学在学中に学生運動に入り、日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(通称:京浜安保共闘)のトップとなります。銃器奪取闘争(真岡銃砲店襲撃事件など)を主導し、地下潜伏生活へ入りました。
連合赤軍の結成と山岳ベース事件
1971年、塩見孝也らが結成した「赤軍派」の残存勢力(森恒夫ら)と合流し、「連合赤軍」を結成。群馬県の山岳アジトに潜伏する中で、過酷な「総括(自己批判と革命的覚悟の追求)」を開始しました。
永田や森らは指導権の維持や猜疑心、教条的な精神主義から「総括」を苛烈化させ、暴力や拷問によって12名もの同志を殺害・死に追いやる「山岳ベース事件」を引き起こしました。
逮捕と死刑確定
1972年2月、あさま山荘事件の直前に妙義山麓で森恒夫とともに逮捕されました。1993年に最高裁で死刑が確定し、脳腫瘍などを患った末、2011年に八王子医療刑務所で病死しました(享年65)。
2. 昭和の社会運動史における位置づけ
永田洋子の存在と山岳ベース事件は、当時の社会や運動圏全体にあまりにも巨大な衝撃とトラウマを与えました。
「大義」が「人間の破壊」へと暗転した瞬間
社会の不条理や差別と闘うはずだった運動が、閉ざされた集団内部で純粋性を追求するあまり、仲間内での凄惨な不信と粛清(リンチ)へと変質した事件でした。この事件により、新左翼運動は国民的な支持を決定的に失いました。
個人(女性・身体・心理)の屈折と狂気
永田の言動には、過酷な地下潜伏や死と隣り合わせの抑圧的環境、集団心理、さらには個人的な嫉妬や嫉視が「革命的総括」という理論的言葉にすり替えられて発露した側面が、多くの裁判記録や手記で分析されています。
3. 『京町英数塾』の文脈における意味
前述のメモ(『京町英数塾』)の全体像において、永田洋子や連合赤軍、あさま山荘事件、あるいは東アジア反日武装戦線といった出来事は、「国家や革命という『大文字の歴史』を追いつめた末に行き着いてしまった悲劇のどん詰まり」を意味しています。
「大義の暴走」に対する深い絶望と反省
1970年代半ば以降、運動に関わった人々や同時代を生きた若者たちは、永田洋子らが陥った「思想による人間の否定」に対する強烈な違和感と敗北感を抱えることになりました。
川崎・京町への「生の着地」
だからこそ、かつて運動に身を投じた人々(福富健氏ら)や周辺の人々は、抽象的な「革命」や「過激な主張」を捨て、川崎の下町という生々しい現場へ戻っていきました。
「目の前の子どもに勉強を教える(京町英数塾)」「ブラジル人や困っている人に日本語を教える」「ボイラーを直す」「鍼灸を施す」「居酒屋で愚痴をこぼし合いながら酒を飲む」という、「仲間を傷つけず、目の前の具体的な人間の尊厳と温もりに手を差し伸べる営み」へと舵を切っていったのです。
永田洋子という存在は、あの時代が放った最も暗く痛ましい影であり、そこからの反転として川崎の「京町英数塾」のような草の根の温かな人間生活(人間喜劇)が紡がれていったという重要な時代的背景をなしています。
福富健 同志社大 塾経営ブラジル人二世に日本語教室
同志社大学時代の関西ブント(共産主義者同盟)での激しい運動経験から、やがて川崎の「京町英数塾」の経営、そして日系ブラジル人二世への日本語教室へと至る福富健(ふくとみ たけし)氏の足跡は、昭和から平成にかけての社会運動史・地域社会史における極めて象徴的で味わい深いドラマです。
福富氏の歩んできた軌跡と、その人間像の核心を4つの側面に整理して解説します。
1. 同志社大学と「関西ブント」の青春
1960年代、同志社大学に学んだ福富氏は、全学連や新左翼運動の有力な潮流であった「関西ブント(共産主義者同盟)」の指導的活動家として、沖縄闘争や安保闘争など激動の運動の渦中にいました。
国家体制の転換や社会の不条理の告発という「大文字の理想(革命)」に若き日の全情熱を傾けた時代でした。
2. 川崎への漂着と「京町英数塾」の創設
1970年代に入り、学生運動が連合赤軍事件などに代表される過激化と狂気へ雪崩れ込み、運動全体が挫折・退潮していく中で、福富氏は全電通などを経て川崎市川崎区の「京町」という下町に辿り着きます。
そこで開設されたのが「京町英数塾」でした。この塾は単なる受験のための進学塾ではなく、運動の嵐を生き延びた活動家や表現者、地域の名もなき生活者たちが集い、子どもたちに勉強と人間の温もりを手渡す「現代の寺子屋・解放区」として機能しました。
3. 日系ブラジル人二世への日本語教室とNHKでの報道
1980年代後半から1990年代にかけて、入管法の改正等に伴い、川崎の臨海部や工場地帯には多くの日系ブラジル人労働者とその家族が渡来しました。しかし、彼らの子どもたち(ブラジル人二世)は言語の壁によって学校教育から取り残され、深刻な不就学や孤立の危機に直面していました。
これに対し、福富氏は自らの塾やボランティア活動のネットワーク(川崎市ボランティアセンター等)を活かし、いち早く「ブラジル人二世のための日本語教室・学習支援」を立ち上げました。
抽象的な政治スローガンではなく、目の前で言葉が通じずに苦しんでいる子どもたちに日本語を教え、日本社会で生きる糧を提供する実利的な伴走支援でした。
この先駆的な草の根活動は大きな反響を呼び、NHKをはじめとするテレビ・新聞などのメディアでも広く特集・報道され、川崎における多文化共生運動の草分けとして全国的にも知られることとなりました。
4. 「大文字の革命」から「目の前の人間への伴走」へ
福富健という人物の最大の魅力と救いは、若い頃に追った「国家や社会を変革する(大文字の歴史)」という過酷な理想と挫折を、「目の前の子どもや困っている外国人に手を差し伸べる(小文字の日常)」という生々しく温かな人間味へと昇華・転換させた点にあります。
思想のドグマに固執して自己崩壊していった一部の急進派とは対照的に、福富氏は川崎の下町にどっぷりと腰を据え、地域の子ども、下町の住民、異国から来た労働者の家族らと酒を酌み交わし、笑い、教え合うという「人間喜劇」の温かな主人公として生き抜きました。
『京町英数塾』という物語において、福富健氏は「時代の嵐をくぐり抜けた人間が、最後に辿り着くべき誠実な生き方と優しさ」を体現した、まさに“忘れ得ぬ”中心人物の一人であったと言えます。
加藤三郎 https://www.facebook.com/saburounonohana
提示していただいたアカウント名(saburounonohana/「野の花」)とURLは、1970年代の新左翼・爆弾闘争の過激な渦中にありながら、のちに大きな精神的回心を経て「生命と共生」へと至った加藤三郎(かとう さぶろう、1948年〜)氏の本人の発信拠点です。
先のメモ書き『京町英数塾』においても「黒ヘル 加藤三郎 除草剤 瀬戸内寂聴」として名前が挙げられていましたが、加藤三郎という人物の辿った軌跡は、「イデオロギーによる破壊の極限から、瞑想と省察を経た生命の尊厳・共生への着地」という、あの時代の精神史を最も劇的に体現する一人と言えます。
1. 激動の過激化と爆破闘争(1970年代)
岐阜・美濃加茂からの出発
岐阜県立加茂高校時代に「名古屋ベ平連」や「みのかもベ平連」に参加。アルバイト先での在日朝鮮人との出会いや太田龍らの著作を通じて「反日思想」へ傾倒していきます。
「黒ヘル」・神社仏閣連続爆破事件
東アジア反日武装戦線などの影響を受け、1970年代半ばに「黒ヘル」的な独自行動として、平安神宮放火事件、東本願寺爆破事件、東大法文1号館爆破事件などの連続テロ・爆破事件を実行しました。
誤爆事件と手配・逃亡
1978年1月、明治神宮への攻撃を狙った「糞尿爆弾」の製造中に東京都板橋区のアパートで誤爆事故を起こし、自らも負傷・汚染されながら逃亡。警察庁指定特別手配被疑者として指名手配されました。
2. 潜伏中の回心とラジニーシ(Osho)との出会い
指名手配の潜伏生活のなかで、過酷な逃亡劇と自らの思想を見つめ直す過程において、ヴィルヘルム・ライヒの著作の再読や、インドの神秘家バグワン・シュリ・ラジニーシ(Osho)の講話録『生命の歓喜』との衝撃的な出会いを経験します。
暴力を肯定していた「反日思想」や政治的教条主義の過ちに自ら気づき、ラジニーシのサニヤシン(弟子)となることを決意。
「スワミ・プレム・デバム」という瞑想名を受け、過去の破壊活動への内省を深めました。
3. 逮捕、服役、そして『意見書』の著述
逮捕と合掌(1983年)
1983年に逮捕された際、胸にラジニーシのペンダントを下げ、修行僧のように合掌する姿が報道され社会に大きな強烈な印象を与えました。
実刑判決と「思想の科学賞」
懲役18年の実刑判決を受け服役。服役中も自らの過去の誤りを真正面から見つめ直す論考を執筆し、1988年に『思想の科学賞』を受賞、1992年には著書『意見書』(思想の科学社)を刊行しました。
また、東本願寺爆破に対する自己批判と問題提起は、宗教者たちがアイヌ民族差別や歴史に向き合うきっかけ(「アイヌと共に民族差別を考える宗教者の会」発足)ともなりました。
4. 現在の発信(saburounonohana)と『京町英数塾』の文脈
出所後、故郷である岐阜県(七宗町)に拠点を置き、ブログやFacebook、X(旧Twitter)のアカウント名「saburounonohana(野の花)」を通じて、日々の想いや平和、共生、人権に関する発信を静かに続けています。
アカウント名「野の花(saburounonohana)」やブログの副題「行く道、帰り道、悲しみの道から、感謝を生きる共生の道へ」に象徴されるように、過酷な爆破闘争と誤爆、逃亡、懲役という「過ちと悲しみの道」を歩んだ人間が、最後に行き着いたのは「一つひとつの生命への感謝と、ささやかな共生の道」でした。
『京町英数塾』の物語における意味
永田洋子に象徴される「自己批判と正義の暴走による破滅」とは対照的に、加藤三郎氏の軌跡は、「猛毒のような過激思想に毒され、一度は破壊者となった人間であっても、深い省察と瞑想、そして生身の人間や自然への目覚めを通じて、静かな共生へと生を再生させることができる」という、人間の救いの可能性を示しています。
川崎の京町英数塾に集った人々が「大文字の革命」を捨てて「下町の目の前の人間」に向き合ったように、加藤三郎氏もまた「野の花」のように静かに生命と向き合う道を選んだ一人であり、あの時代をくぐり抜けた人間の不可解さと愛おしさを象徴する“忘れ得ぬ”存在と言えます。
加藤三郎 (新左翼)とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書
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加藤三郎 (新左翼) - Wikipedia
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藤本委員長全学連
「藤本委員長全学連」とは、1960年代末の大学紛争・激動の時代において、三派全学連(全日本学生自治会総連合)の委員長を務めた藤本敏夫(ふじもと としお、1944–2002)氏のことです。
ご提示いただいた『浅田教会』や『京町英数塾』のメモに登場する「三里塚の無農薬野菜」「加藤登紀子の夫の農場」の人物であり、1960年代の熱狂的な学生運動から、70年代以降の「土に根ざした有機農業・生命の運動」へと自ら転換していった、あの時代の象徴的な存在です。
1. 「三派全学連委員長」としての超新星(1960年代末)
明治大学からブントの結成へ
明治大学在学中、共産主義者同盟(第二次ブント)の再建に参加。鋭い政治的感覚と圧倒的な行動力で頭角を現しました。
三派全学連委員長に就任(1968年)
ブント系、中核派系、社学同などが結集した「三派全学連」のトップ(委員長)に就任。1968年から1969年にかけての全共闘運動・70年安保闘争の最盛期において、羽田闘争、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争、新宿騒乱事件、沖縄外務省前闘争などの激しい街頭闘争を陣頭指揮しました。
逮捕と防衛庁襲撃
ヘルメットをかぶりマイクを握る姿は「新左翼運動の花形リーダー」としてメディアでも大きく取り上げられましたが、1969年の防衛庁侵入事件などで逮捕され、起訴・服役(禁錮刑)を余儀なくされました。
2. 加藤登紀子との「獄中結婚」と精神的転換
1972年の獄中結婚
歌手の加藤登紀子氏は、全学連委員長として追われていた藤本氏と出会い、彼が収監されている最中の1972年に結婚(「獄中結婚」)。社会的に大きな話題を呼び、加藤氏の代表曲『ひとり寝の子守唄』や『知床旅情』のバックボーンとしても語り継がれています。
「大義の暴走」からの脱皮
服役中や運動の退潮期を通じ、藤本氏は内ゲバや内部分裂、爆弾闘争へと狂気化していく新左翼運動のあり方に激しい疑問と限界を感じ、政治的スローガンやイデオロギーによる「国家変革」を断念します。
3. 「三里塚の無農薬野菜」と大地への着地(1970年代〜)
有機農業への転換と「大地を守る会」
出所後、成田空港反対運動(三里塚闘争)の現場で土地を守るために立ち上がっていた農民たちと深く交流。政治闘争ではなく「農民が自立し、毒(農薬)のない安全な食べ物を都市の生活者に届けることこそが真の社会変革である」と直感します。
1975年には「大地を守る会」の初代会長に就任し、日本の有機農業・産直運動の礎を築きました。
「鴨川自然王国」の創設
その後、千葉県鴨川市に自ら農場「鴨川自然王国」を開業。自然と人間、都市と農村が共生する循環型のライフスタイルを提示し続け、2002年に58歳で亡くなるまで、土に汗する生産者として生き抜きました。
4. 『浅田教会』や『京町英数塾』の文脈における意味
メモの中にあった「三里塚の無農薬野菜」「加藤登紀子の夫の農場」という記述は、この藤本敏夫氏の足跡と直接つながっています。
食と生を通じた草の根の連帯
藤本氏らが三里塚の農民とともに育てた無農薬野菜は、単なる健康食品としてではなく、「反公害・生活防衛・自立した生き方」の象徴として、川崎の浅田教会や渡田教会、京町英数塾の周りにいた労働者や活動家、地域住民の食卓へと届けられていました。
大文字の「政治・革命」から小文字の「食・生活・教育」へ
全学連委員長として「革命」を叫んだ藤本敏夫氏が最終的に辿り着いたのが「美味しい野菜を作り、人々に届けること」であったように、京町英数塾に集った人々(福富健氏ら)もまた、革命の挫折のあとに「目の前の子どもに勉強や日本語を教えること」に生を見出しました。
「藤本委員長全学連」というフレーズは、時代の熱狂の頂点に立ちながらも、最後は地に足のついた「土と人間の生活」へ戻り、人々に命の糧を手渡していった一人の人間の見事な脱皮と再生のドラマを物語っています。