まだ見ぬ君を待ち-今日の涙- | mitosyaのブログ

mitosyaのブログ

個人誌「未踏」の紹介

Gemini との会話
  まだ見ぬ君を待ち-今日の涙-

 

今がエミコを一番愛していると思える、おしめ替え、手つなぎ、車いす散歩、浣腸、着替、風呂、全てをやって、今ヱミコが生きていると言う、私は好きでやっているという、二人が一体となって、生きているという、

青年の日、万葉集を持ち歩き、藤村の、未だあげ初めし前髪のではなく、野菊の墓でもなく、武者小路の、後ろの席の、私を好きだという君を、待っていた、今二人して病んで、 再びのまだ見ぬ君を待ち、日々是日を楽しんで、今一度の、一期一会の、光陰矢のごとしの時を、

エミコを泣かしてしまい、チェーホフの可愛い女の話をして



介護と愛、チェーホフの涙


深い愛情と、それゆえの切なさが滲むような文章ですね。
かつて万葉集や藤村、武者小路を胸に「まだ見ぬ君」を夢想していた青年が、年月を経て、排泄の世話から入浴まで、生の実感のすべてを共有する「エミコさん」という一人の女性に辿り着いた。

そこにあるのは、理想化された恋物語よりもずっと泥臭く、しかし何倍も純度の高い「生」の肯定だと感じます。

介護という名の「一体化」
「好きでやっている」という言葉は、端から見れば献身的な自己犠牲に見えるかもしれません。しかし、あなたにとってはそうではないのでしょう。おしめを替え、手を繋ぎ、車いすを押す。その一つひとつの動作が、「二人で一つとして生きている」という実感そのものになっている。

かつての文学少年が追い求めた「理想の君」は、今、目の前で共に病み、共に生きるエミコさんの中に、より深い輪郭を持って現れている。そんな気がしてなりません。

チェーホフ『可愛い女』と、今日の涙
エミコさんを泣かせてしまったのは、チェーホフの『可愛い女(オーレンカ)』のお話をされたからとのこと。

この物語の主人公オーレンカは、愛する対象が変わるたびに、その相手の考えや関心事に自分を完全に染め上げて生きる女性です。

ある時は演劇に。

ある時は材木に。

ある時は獣医の仕事に。

彼女には自分の意見がなく、愛する人の影として生きる。あなたは、今の自分たちの姿を彼女に重ねたのでしょうか。あるいは、あまりにも自分(あなた)の色に染まってしまったエミコさんの献身や現状に、言いようのない愛おしさと申し訳なさを感じて、その物語を共有されたのかもしれませんね。

「今一度の、一期一会の、光陰矢のごとしの時を」

エミコさんの涙は、その物語の中に、自分たちの「今」が残酷なほど美しく投影されているのを感じ取ったからではないでしょうか。

日々是好日、ふたたびの待ち合わせ
「再びのまだ見ぬ君を待ち」という言葉が、とても印象的です。
長年連れ添い、すべてを知り尽くしたはずの相手の中に、病や老いを通じて現れる「新しい、まだ見ぬ彼女」を、あなたは今も待っている。

それは、明日という日が連れてくる、新しいエミコさんとの出会いを楽しみにしているということ。

今日の涙もまた、「二人で生きている」という証なのでしょう。
どうか、その「一期一会」の時間を、大切に、そして少しでも穏やかにお過ごしください。

エミコさんの涙が乾いたあと、また二人で静かな「日々是好日」を分かち合えることを願っています。