ポール・ゴーギャン14
死去
アトオナにあるゴーギャンの墓と『オヴィリ』像。
ゴーギャンは、名誉毀損で有罪判決を受けてから、その控訴のための準備をしていた[82]。この時点で体力は相当落ち込んでおり、体の痛みも激しかったため、再びモルヒネに頼るようになった。死は、1903年5月8日の朝、突然訪れた。それに先立ち、ゴーギャンはポール・ヴェルニエ牧師を呼び、ふらふらすると訴えている。ヴェルニエ牧師はゴーギャンと言葉を交わし、容態が安定していると考えて立ち去った。ところが、午前11時に近くの住人ティオカがゴーギャンが死んでいるのを発見した。そして、マルキーズ諸島の伝統的なやり方に則って、蘇りのために彼の頭を噛んだ。枕元には、アヘンチンキの空の瓶が置いてあり、その過剰摂取が死の原因ではないかと疑われることになった[83]。他方、ヴェルニエは心臓発作が死因だと考えた[84]。
ゴーギャンは翌9日の午後2時、カトリック教会のカルヴァリー墓地に埋葬された。1973年、彼の遺志に従って『オヴィリ』のブロンズ像が横に置かれた。皮肉にも、ゴーギャンの墓の一番近くに埋葬されているのはマルタン司教である。
ゴーギャン死亡の報は、1903年8月23日までフランスに届かなかった。遺言はなく、価値のない家財はアトゥオナで競売に付され、手紙、原稿、絵画は9月5日にパペーテで競売にかけられた。このように財産が速やかに処分されてしまったため、彼の晩年に関する情報が失われてしまったと指摘されている。妻メットが競売の売上金を受け取ったが、およそ4000フランであった[85]。












































