アントニオ・ロペス・ガルシアからビクトル・エリセ 磯江毅 ホキ美術館まで | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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アントニオ・ロペス・ガルシア

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『トレス ブランカスから見たマドリード』 1971


アントニオ・ロペス・ガルシア (Antonio López García、1936年1月6日 - )は、スペインの画家

概要

ニューヨークでの万国博覧会を契機として国際的に活躍しスペイン国内のみならず国際的に非常に高い評価を得ている、マドリード・リアリズムの中心人物。ただし、ロペスとは異質の相容れない様式で制作するエドゥアルド・ナランホのような画家と十把一絡げに同様のものと看做されることに対しては、異議を唱える。同年に生まれた画家にはフランク・ステラ、野田弘志、クラウディオ・ブラーボが、美術家には李禹煥、荒川修作がおり、野田とは同じ展覧会に出品するなどしている。

日常的な光景を細部に引きずられない迫真的な描写で的確に描き出す一方、『アトーチャ』(1964)や『皮を剥がされたウサギ』(1972)のように演出の色合いが濃い、ドラスティックな作品もある。一作に膨大な歳月を掛けることも珍しくない。例えば『フランシスコ・カレテロ』 (1961-1987)のように、20年以上の時間を割き、それ故にこそ堅固で荘重な文理・テクスチャーとよく探究された諧調・色価を備えた絵画を制作している。然るに寡作であって、2回目の個展以降、24年もの間作品をまとめて発表する機会を持たなかったという逸話がある。塑像などのいわゆる立体作品も手掛けている。しかし、ロペス自身は「他人がどういおうとすべて私の作品は絵画である」と述べる。また、ロペスを扱った映画もある。

スペイン生まれの画家として有名なパブロ・ピカソとは一見大きく隔たっているように見えるかも知れないが、ロペスが幼少の頃ピカソは存命であった。具体的な関連を見いだすこともできる。単純な技法の上ではピカソのハッチングを思わせる描線が見いだされる絵画があるし、『洗面台と鏡』(1967)や『便器と窓』(1968-71)に見られる視点の併合は、ポール・セザンヌをひとつの起点とするピカソのキュビスムに呼応する。美術評論家の米倉守は、ロペスの「ピカソをはじめとするスペインの作家」に対する態度について「彼らの仕事を横から眺めていたのではなく、きちっと正面から見つめていただろう。」 と述べている。

ロペスは『便器と窓』などのように、幾度か便器を描いているが、このとき、マルセル・デュシャンの『泉』を無視することはできない。作品のこのような言及的な性格は、「現実に対する」「忠誠を表明する」、「伝統的な主題と技術を用いる」画家のものとしてはラディカルである。このことから、基礎的な造形性や共有され一般化された審美性に依存した方法を採用していないことが分かる。ロペスのこの「単なる快いだけの美」の否定については野田弘志も指摘するところである。

経歴

1936年、1月6日にトメジョーソに生まれる。
1950年、マドリードのサン・フェルナンド美術学校入学。
1955年、サン・フェルナンド美術学校卒業。
1957年、官展で絵画賞受賞。初めての個展をマドリードのアテネオで開催。
1958年、パルデペーニャスの展覧会にて受賞。ロドリゲス・アコスタ財団の援助と教育省の援助でそれぞれイタリアとギリシャに遊学。
1961年、マドリードのビオスカ画廊で二度目の個展。
1964年、アメリカ合衆国 ニューヨークの万国博覧会スペイン館に出品。
1974年、ドイツ ダルムシュタットにて受賞。
1977年、フランス パリのフィアック’77にマロボロー画廊により作品が出品される。ドイツ カッセルのドクメンタVIにも参加。
1983年、パブロ・イグレシアス賞受賞。スペイン美術界最高の褒賞である美術賞金受賞。
1985年、「今年の人」としてABC賞受賞。アストォーリア王子芸術賞受賞。アルバセテ美術館で個展開催。ユーロパリア;85―スペインに参加、ブリュッセル近代美術館で展覧会開催。
1986年、カスティーリャ・ラマンチャ金賞受賞。フランス パリのフィアック’86にマロボロー画廊により出品。
1988年、マドリードのアルコ'86にニューヨークのマロボロー画廊を通して出品。
1989年、「ピカソ,ミロ,ダリとその時代,スペイン20世紀美術展」(東京 西武美術館、尼崎 つかしんホール)に出品。
1990年、M.ブレンソン、F.カルボ・セラリェール、E.J.サリバンにより初めてのモノグラフが出版される。
1991年、「スペイン美術はいま―マドリード・リアリズムの輝き」に出品。
2002年、「写実・レアリズム絵画の現在」(奈良県立美術館)出品。(他に野田弘志、磯江毅、諏訪敦らが出品した展覧会)

代表作

『アトーチャ』 1964
『洗面台と鏡』1967
『浴槽の女』 1968
『便器と窓』1968-71
『男と女』 1968-91
『トレス ブランカスから見たマドリード』 1971

映画

『マルメロの陽光』 ビクトル・エリセ, アントニオ・ロペス・ガルシア

外部リンク


ビクトル・エリセ(Víctor Erice, 1940年6月30日 - )はスペイン出身の映画監督・脚本家である。本名、ビクトル・エリセ・アラス(Victor Erice Aras)。

映画学校で学びながら、映画雑誌に批評や評論などを書いて生計を立てていた。1964年、兵役についていたのち、溝口健二の『山椒大夫』を見て大きな感銘を受け、除隊後は映画一筋に生きる道を決意する。その際、「人生を凌駕する、人生を越える映画が存在する」と悟った。68年、オムニバス映画『挑戦』の一編で監督デビュー。卓抜な演出と映画への飛びぬけた感性で一躍名を知らしめた、73年の『ミツバチのささやき』が、同年サン・セバスティアン国際映画祭でグランプリ。

第二作長編『エル・スール』でも高い評価を受け、第三作長編『マルメロの陽光』で、カンヌ国際映画祭審査員賞、国際批評家連盟賞受賞。10年に1本しか撮らない(もしくは撮れない)、大変寡作な監督として知られているが、これまでの作品はすべて非常に高い評価を得ている。

最新作の『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』は、数人の監督がそれぞれ10分の短編を集めたオムニバス映画である。

幼少からジョン・フォードのファンである事でも知られる。

2006年、マドリードでアッバス・キアロスタミ監督との映像による往復書簡を展示。




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諏訪敦


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生島浩