転調点 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

  転調点

「たしかにそうだ、これが正しい表現だ、点調点。それは移行であり、自己同一であり、変貌であり、転調である。これこそ、転調のもつ意義である」

 例え何パーセントかでも転移の可能性があり、五年間は用心をしなければと考えていたからではない、死を考えては来たが、それは他人の死であった、自分の死に突き当たったときに、自然ともち上げて来た私と言う意識、多くの死んでいく私という意識、この私とは一体何なんだという疑問、癌の宣告以来ずっとこの私というものを考えていた、そしてある時、ふっといつ死んでも良いかなあという感情に見まわれた。私を考えるという作業を通して、私という生身をもう充分に味わったと思えた、この味わった時間が私であった。癌の宣告も私の転調であったが、このいつ死んでも良いかなあも、もう一つの私の転調であった。

  時

「この推移が限りなく醗酵を重ね、その内側から、時の流れに抵抗する重みが生じてくる時、それは結晶して、時を超える形を獲ようとする。ここに流れと動きを超える、動かない、静かなフォルムへの、嘆きにみちた憧憬がすべての芸術の根底となる意味をもってくる」

 時を越えたいと思って思索し、ものを書いているのではない、私の中に時を刻みたいだけ、時は私と共に終わることは疑いようのないこと、死後は私において何の意味もない、ただこの生身の呼吸している私の時において為すだけ。

  咎

「この咎の意識は、何ものにも撹乱されずに静かに延び拡がっていった。この咎こそは、パスカルが星辰を前にして感じたあの人間のミゼールなのだ、僕はふとそう思った。人間がその真の量に還元しきるとき、そこに露れてくる人間の質なのだ」

咎の意識こそ人間の意識を決定するのだろう、歴史において何と多くの人間がこの咎に苦しみ、挑み、受け止めたことか、が、私には無い「咎」の意識。