「カエサル」 プルタルコス 加来彰俊 訳 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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世界文学大系

 

ギリシャ思想家集

 

カエサル

 

ブルタルコス

加来彰俊 訳

さて、カエサルは前々からポンペイウスを打倒しようと決意していたが、むろん、ポンペイウスの方でもそれと同じことを考えていた。というのは、二人のうちの勝った方に挑戦すべく控えていたクラッススは、パルティア人の地で戦死したので(前五三年)、一方が第一人者となるためには、現にそうである他方を打倒するほかなく、また他方もそういう目にあわないためには、かねて恐れていた相手を、先手を打って排除することしか残されていなかったからである。

実際、当時のローマの政治はひどいものであった。高官に立候補する者たちは、公衆の真ん中に金を勘定する台を据えて、恥も外聞もなしに大衆を買収したし、他方、買収された民衆の方は、広場に降りてきて、金をくれた人たちのために、投票によってではなく、弓や剣や投石器でもって争う始末だったのである。そして彼らは、血や屍で演壇を汚してから、やっと別れたことも再三あり、こうして国家を、あたかも舵取り人なしに漂流する船のように、無政府状態にしてしまったのである。

さて、彼自身は一台の貸馬車に乗って、最初は別の道を走らせていたが、やがてアリミヌムの方ヘ進路をとらせた。そしてアルプスの内側のガリアとイタリアと他の部分との境界になっている、ルビコンと呼ばれる河の前までくると、彼の心には反省がおこり、恐ろしい段階にいっそう近づいたのと、冒険の大きさとに心は動揺して、車の速度をゆるめた。そしてついに、行動を停止して、長い間黙ったまま、ひとり心の中であれこれ考えをひるがえしては、思案に耽った。そのとき、彼の計画はいくたびも変転したのである。他面また、その場に居合わせた友人たちとも――その中にはアシニウス・ポルリオもふくまれていたが――彼は長い間この難しい事態について協議し、この河を渡ることが、人類全体にとってどれほど大きな災禍の発端となるか、また、後世の人々にどれほど多くの論議を呼ぶことになるかを考慮した。

ところで、エジプトにおける戦争は必要やむをえず起こったのではなく、クレオパトラをカエサルが恋したからであって、カエサルにとっては、それらは不名誉で危険な戦争だったという人たちがいるが、他方また、その責任を王の側近者たち、とりわけ最高の権力を握っていた宦官のポテイノスに帰している人たちもいる。

そのとき、ティルリウスがカエサルの上着を両手でつかんでそれを咽喉のところから引きおろした。これがかねて諜し合わせてあった襲撃の合図であった。まずカスカが剣で頸のところに一撃を与えたが、それは致命的なものではなく、深い傷でもなかった。当然のことではあるが、カスカはそのような大事の口火をきるにあたって、取り乱していたわけである。そこで、カエサルもその方に向き直って、その剣をつかみ、これを押さえた。そして両者はほとんど同時に叫び声をあげた。打たれた方のカエサルはラテン語で「不屈者のカスカめ、何をする!」と叫び、打った方のカスカは兄弟に向かってギリシャ語で、「おい、手をかせ」と怒鳴ったのである。

カエサルは満五十六歳で死んだのだが、ポンペイウスより生きのびたといっても、それは四年以上をあまり多く出るものではなかった。また、彼が全生涯にわたってあれだけ多くの危険を冒しながら追求し、そして最後にやっと達成した覇権と支配については、彼がそれからの成果として享受したものは、ただその名目だけと、そして市民たちの嫉妬を招いた名声以外には、何もなかったのである。

 

 

プルタルコス Plutarchus

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

プルタルコスプルタルコス(希: Πλούταρχος, 羅:Plutarchus, 46年から48年頃 - 127年頃)は、帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。英語名のプルターク(Plutarch)でも知られる。

 

略歴

ボイオティアにあるカイロネイアの名門出身。アテナイで数学と自然哲学を学び、ギリシャ本土と小アジアのサルディス、エジプトのアレクサンドリアに赴き、カイロネイアの使節としてローマにも度々滞在した。生涯を故郷で過ごし、市民と親しく付き合い、ローマからの客をもてなしたので、家は大いに賑わったとされる。一方では、デルフォイ神殿の神官と交流を持ち、神託を推奨した。

 

思想的にはアカデメイア派に属し、その他ストア派やペリパトス派の考え方も取り入れていた。

 

著作 

著作活動は熱心で、3世紀頃に編纂されたプルタルコス著作目録によれば、『対比列伝』(英雄伝)をはじめ、227もの書物が挙げられている。

 

『対比列伝』は1人の人物を記述した単独伝記4編と、古代ギリシアの人物と古代ローマの人物を対比した対比列伝22編からなる。対比列伝では、アテナイの王テセウスと王政ローマを建国したロムルス、スパルタの律法者リュクルゴスとローマの古王ヌマ、アレクサンドロス大王とカエサル、などが対比されている。

 

この『対比列伝』は16世紀にジャック・アミヨによる仏訳がなされ、その仏語版から17世紀のサー・トマス・ノースが訳した英語版を参考にシェイクスピアは『ジュリアス・シーザー』、『アントニーとクレオパトラ』、『コリオレイナス』などのローマ史劇を執筆したとされる。(トマス・ノース英訳版『プルターク英雄伝』が 、1993年に龍渓書舎で高価な特製本2冊組で刊行している、塚田孝雄編)

 

『倫理論集(モラリア)』は政治・宗教・哲学などについて論じた随想集であり、エッセーの起源であるとされる。のちにモンテーニュやラブレーなどのルネサンス期のフランス文学や、ラ・ロシュフーコーなど17、18世紀のフランスモラリストに、大いなる影響があった。

 

日本語訳 
対比列伝 

『英雄伝』全6巻(予定)、柳沼重剛ほか訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉(2007年より刊行中、完結時期未定) 
『プルターク英雄伝』全12巻、河野与一訳、岩波書店〈岩波文庫〉 
『プルタルコス英雄伝』全3巻、村川堅太郎編、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1996年。(元版は筑摩書房『世界古典文学全集23 プルタルコス』) 
『プルターク英雄伝』全8巻、鶴見祐輔訳、潮文庫〈潮出版社〉、1971年。(抜粋本が潮文学ライブラリー1巻) 
『プルターク英雄伝』全6巻、鶴見祐輔訳、改造社、1934年。(※英訳版からの重訳) 

倫理論集(モラリア) [編集]

『モラリア』全14巻(予定)、戸塚七郎ほか訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、(1997年より刊行中、完結時期未定) 
『倫理論集の話』(抜粋訳) 河野与一選訳、岩波書店。 
『モラリア』は、岩波文庫で以下が刊行(いずれも柳沼重剛訳) 
『饒舌について 他五篇』(1985年) 
『愛をめぐる対話 他三篇』(1986年) 
『食卓歓談集』(1987年) - 「酒席で哲学論議をしてもよいか」など33編。 
『似て非なる友について 他三篇』(1988年) 
『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(1996年)

 

ガイウス・ユリウス・カエサル - Wikipedia

 

http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
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