高垣 眸 怪奇物語 銀蛇の窟(1926年) | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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日本児童文学体系

 

 高垣 眸

 

 

 

怪奇物語 銀蛇の窟(1926年)

 

 

 

 

第一回 からすがみの巻 (その一)少年傀儡師 京の都の四方を囲む、東山三十六峰を始めとする山々も、次第に秋の色が濃くなってきました。鴨川の流れに白い漣をたてる、肌寒い風さへ吹きはじめて――― 時代は、徳川幕府の末つ方、天下は麻のごとくに乱れ、わけても、王城の地たる町々には、諸国から集まつてきた浪人どもや、幕府の新撰組の荒武者どもが、肩肘張ってのさばり歩き、何かといへば、すぐ白刃を振りまはす、血腥い騒ぎは絶え間もありません。 ある朝のことでした。やつと十二になつたばかりの幼い銀之助は、いつものやうに、浅黄頭巾、赤い袖無しに緑の裁つけ袴、絵に描いたやうな可愛い服装、首には太い紅紐で、古びた桐の人形箱を胸高にぶらさげ、手にはサヽラを持つて糺河原の小屋を出かけました。まことに、小さな傀儡師どの。 第十一回 鯨船網争ひの巻 (その一)黒潮の主 本州の最南端から、紀伊半島の潮ノ岬から東北、楯ケ崎沖に至る間の海上を、世に熊野灘と呼んでゐます。玄界灘や遠州灘と共に、海上屈指の大難所として、板子一枚下に地獄を踏まへる、命知らずの船乗り共にさへ、尠なからず恐れられてゐるのが、この荒灘です。 天を呑む太平洋の巨浪怒涛も物凄いが、更に恐るべきは、矢よりも速く渦巻き流れる、魔の如き流なのです。往古から、この荒灘で悲惨な難船に逢ひ、恨を呑んで千仭の海底に藻屑と消えた人々は、数へ切れないほどでした。 (その二)潜る巨鯨 いよいよ怒り狂っつ巨鯨は、奮迅の勢い物凄く、太地組の船陣を突破して、外洋へ逃れようと、山のやうな姿を縦横に狂奔させます。今しも、勢子船と網船の繋がり目に、僅な隙間を見出して。クルリと首を向け直したその智慧の働き、なにさま世の常の鈍獣には、似つかぬ稀代の怪獣でした。 「やゝゝツ、あれは風太郎どんだなツ。」 「うむツ、風太郎どんだツ。」 意外に驚く叫びが起りました。今、東へクルリと向き変した。巨鯨の右側面に、思ひもよらず、犇と取り着いてゐる風太郎の姿が、この時初めて人々の眼に映つたのでした。 そも、波座士の役目は、至難中の至難、危険中の危険な仕事でした。鯨網の船陣へ追い込んだ鯨が、勢激しく荒れ狂ふ時、単身その鯨の頭部に泳ぎ着き、波刀をもつて、先ず鯨体に、手がかり足がかりとなるべき傷をつけ、それにすがつて鯨の頭の上に這い上がると、潮吹きの鼻孔のほとりを刺し貫いて、其処へ鼻綱の端を通し、しつかりと縛つて、綱の一端を握ると、再びわが船へ泳ぎ帰るのです。

 

 

 

 

高垣眸

 

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

高垣 眸(たかがき ひとみ、1898年1月20日 - 1983年4月2日)は、昭和期の児童文学作家、大衆小説作家、小説家。本名・末男。別筆名・田川緑、青海、小野迪夫。    

 

 

経歴
広島県尾道市土堂生まれ。生家は醤油醸造業を営んでいた。幼少から軍艦に憧れ、海に情憬を持ち育った。このため海を舞台にした作品が多い。

 

 

1920年早稲田大学英文科卒業。新聞記者を志したが叶わず、同郷の行友李風のいた新国劇脚本部に入る。間も無く兵役のため退職し復員後は、東京府立青梅実科高等女学校(現・東京都立多摩高等学校)の英語教師として赴任。教師の傍ら少年向けの冒険小説を書き始め1925年、雑誌「少年倶楽部」の『龍神丸』でデビュー。

 

 

前年に生まれた長女の名前を採ってペンネームを"高垣眸"とした。この作品は少年伝奇小説として一時代を画した。続いて発表された『豹(ジャガー)の眼』は、次に生まれた長男の名と暮らした青梅市から"青梅昕二"名義で発表。この作品はのち1959年、KRT(現・TBSテレビ)「月光仮面」の後番組、日本初の本格的テレビアクションとしてTVドラマ化された。

 

 

教職は辞し作家に専念、再び"高垣眸"名義に戻しこの後『神風八幡船』、『曼珠沙華』、『決死の将校斥候』、『荒海の虹』、『渦潮の果』、『銀蛇の窟』、『黒衣剣侠』、『科学怪奇怪人Q』、『恐怖のミイラ』など相次いで発表。童話とは異なる面白さ、破天荒なストーリーの中にも、人として選ぶ道を教えた教育者として高垣作品は当時の子供達を熱狂させた。特に1935年に発表した『怪傑黒頭巾』は伊藤幾久造の挿絵とともに大評判となり、翌年1936年の『まぼろし城』の二作品は戦前から戦後にかけて日活や東映などで何度も映画化された。またNHK少年ドラマシリーズなどでテレビドラマにもなった。

 

 

戦後は創作意欲を失ったともいわれているが、転居した千葉県勝浦市で漁業問題などに関わった。海洋資源、環境問題など社会的なテーマに取り組み『魚の胎から生まれた男』(1974年)、『魚の食えなくなる日』(1975年)などを発表。『宇宙戦艦ヤマト』(1979年)のノベライズなども手がけ、地球三部作と言われるSF小説『凍る地球』、『恐怖の地球』、『燃える地球』を執筆。右目失明後に書いた『燃える地球』(1981年)が遺作となった。1983年、老衰のため勝浦市の自宅で死去。享年85。

 

 

二男の高垣葵は民間放送発足時から脚本家として関わり『1丁目1番地』など多くの作品がある。藤子不二雄の『海の王子』の原作者としても知られる。

 

 

大衆文学は、大御所作家を除くとやや忘れられた存在となっていたが1996年、講談社が文庫シリーズ「大衆文学館」を刊行するなど、近年高垣を含めて再評価の兆しがある。

 

 

作品リスト
 
龍神丸
豹の眼
神風八幡船
曼珠沙華
荒海の虹
渦潮の果
銀蛇の窟
黒衣剣侠
科学怪奇怪人Q
決死の将校斥候
怪傑黒頭巾
まぼろし城
ご存じ怪傑黒頭巾
怪奇冒険紅魚喇嘛
地球を征服した蟻人
吼えろ密林
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ゼンダ城の虜
燃える地球
未来の大都市
魚の胎から生まれた男
魚の食えなくなる日
凍る地球
恐怖の地球
燃える地球

外部リンク
映画化作品