十六歳の日記(1964) 六月二十二日 ~  | mitosyaのブログ

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十六歳の日記(1964)

 

 

六月二十二日 石塚君と議論した。 宗教なんてどうしても私には考えられない。信仰しているから幸せになったなんて、人は誰でも幸せになれるのだ。誰でも不幸になるのだ。それを信仰しているから幸せになったなんて、日蓮宗が唯一の正しい宗教だなんて、日蓮宗なんて日本だけのことだろう。この大宇宙は無限大なのだ、この宇宙には地球よりもはるかに発達した世界があるだろう、そうしたら、そこでは宗教など必要でないかもしれない。だから、けして生活と宗教は結びつかない。日蓮が唯一の佛で他は邪教だなんて、宗教も、法華経も皆人間の創造物だろう。今ここで自分が死ぬ、なぜ死んだか何も解らない。大体なぜ生れてきたかも人には解らないのだから。何も解らないより、宗教というものを信じて、わかった気になった方が賢いのかもしれないが、いくら信じろといわれても、信じれないものは信じれない。解らない事を解りたいとは思うが、今はただ学校の勉強を一生懸命やろう。 六月二十七日 勉強が出来ない、する時間がない。 十時から一時、七時半から八時十分。たった三時間と四十分。会社で五十分。しかし、学校で、六時から九時十分まで、三時間十分。睡眠時間六時間で、一日七時間四十分ある。また登校中でも、単語位は覚えられる。すると合計八時間はある。学校での授業は真剣に、会社は遅刻してはいけない、八時間勉強できればきっと満足だろう。毎日勉強ばかりでは頭に良くないだろうから、日曜日は映画でも観て、お母さんや妹とも対話して良き兄であろう。どうか私の体よ、私のこの計画に従っておくれ。夜一時になっても、学校でも、会社でも眠くならないでおくれ、さあ今日から、しっかりやろう、毎日を充実させていこう。 八月三日 草川昭夫とは?どんな男だろう、私は別に大した者じゃないと感じているが、何かしら社会主義に関係しているらしい。今日はモカで二人でアイスクリームを食べた。秘密の本を見せると言う。これからの交際が楽しみだ。 英文法四百九十円から 八月五日 新聞紙に包んだ、秘密の本を借りた。人の眼から隠すようにして手渡されたその本を、私は帰って直ぐガツガツ読み出した。少なからず社会主義というものが飛び込んできた。今まで知らなかった、ものの見方や考え方が書かれてあり、なんだか急に自分が偉くなったような感じになった。それとともに資本家に対する憎悪の念が湧いてきた。同時に将来の日本、これからの世界も考えさせた。宗教は政治、経済の貧困からなのだ。私は急に社会主義を指向したくなった。