山中峯太郎   『亜細亜の曙』 (1922年) | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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日本児童文学体系
 

 

 

 山中峯太郎

 

 

 

亜細亜の曙(1922年)

 

 

 

祖国の危機、こゝに迫る 日本の大動脈を走りつゝ 惜しまれて散るを桜の誉れかな。潔よく散る桜の花が、帝都東京の空に、吹雪の如く風に舞ひはじめた。  どこから飛んできたのか、東京駅の広いプラットホームにも、桜の花びらが五六片、ヒラヒラと、ころがつて行く。春だ。四月十七日の朝、午前十時、ころがつてきた白い桜の一片が、レールの上へハラリと落ちた。そこへ、プラットフオームを発車した下関行の一二等特別急行列車、今しも東京駅を出発して、日本交通の大動脈である東海道線を、刻々に轟々と速度を増しつゝ、西へ西へと走っていく。  一等客車の片隅に、ゆつたりと腰を下ろしてる日本紳士、年は三十一二に見える。赭黒い顔はキツと引きしまり、顔の色だけ白いのは、いつも帽子をかぶつているからだらう。黒ラシヤの外套を着てゐる。

 

 

液体空気と殺人光線 欧米人は批評して言ふ、「日本人に科学的発明の才能なし」と。然るに見よ!野口英世博士は医学上に幾多の世界的発見を遺した。北里柴三郎博士はコレラ菌を発見した。高峰譲吉博士はタカヂアスターゼを、池田菊苗博士は味の素を発明した。いづれも皆、世界に類なき大発見であり、偉大なる発明だ。愛知県の豊田佐吉氏は自動機械を発明して、英米の織物界を驚嘆させた。丹羽保次郎博士の発明せる電送写真機は、独逸と米国のそれよりも遥かに優秀だ。日本電池会社の島津源蔵氏が発明した蓄電池に使用する鉛の製造法は、米国の会社より百万円をもつて、その製造法と器械を買いにきたのだ。 空気を圧し縮めて液体となし、再び元の空気へ還す時の絶大猛烈なる爆発威力、この爆発方法のもっとも優秀なる器械を、秘密に発明せるは我が日本陸軍だ。巌窟城の最高博士も、これが秘密を解くに苦しみ、死の前の本郷義昭を助命して、本郷の偉大なる科学的助力を求めようとする。

 

 

炎の破壊と死の全滅 怪力線に三種類ある。第一怪力線は、動物の肉体を忽ち腐らせる。現にルイカールの握っている光射器は、第一怪力線の放射器だ。第二怪力線は、火薬を爆発させる。小銃弾を初めとして、手擲弾、各種の砲弾、爆弾、地雷、水雷、空雷、それ等が一度、第二怪力線に会ふと、ことごとくその場で爆発するのだ。陸軍、海軍、空軍、いかに精鋭なりとも、第二怪力線の前には、忽ち戦闘力を失ふ。第三怪力線は、毒ガス発生の液体を初め油類を爆発させる。これに会へば、毒ガス戦闘軍は、味方のガス爆発によつて全滅し、軽油によつて動く戦車は、内部から爆破して倒れ、飛行機と飛行船は、機関部が尽く爆裂して墜落する。しかも、第二と第三怪力線は、太陽の赤外線と同じく、人間の眼には見えず、その上にX光線のごとく、物体を通して威力を現す。じつに恐るべき毒線だ。故に「怪力線」と名づけられる。

 

 

山中峯太郎

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

山中 峯太郎(やまなか みねたろう、1885年(明治18年)12月15日 - 1966年(昭和41年)4月28日)は、日本の陸軍軍人、小説家、翻訳家。陸軍士官学校卒業、最終階級は陸軍中尉。

 

 

略歴
大阪の旧彦根藩士・呉服商馬淵浅太郎の次男として生まれる。2歳の頃、陸軍一等軍医山中恒斎(戦国武将山中幸盛の末裔を称する)の養子となる。陸軍士官学校では阿南惟幾と同期(18期)。在学中に菊池幽芳の薦めもあって大阪毎日新聞に小説を発表する。またキリスト教や禅、伊藤証信の無我苑など宗教的に彷徨する。1910年(明治43年)陸軍大学校入学。1913年(大正2年)、辛亥革命後の袁世凱の専制に反対する第二革命に参加し、山中未成の筆名で東京朝日新聞に記事を送稿。陸大は退校となり、1914年依願免官後、東京朝日新聞社入社。

 

 

その後も第三革命にも関与するが、一方、「中央公論」「東方時論」「新小説」などに評論や読み物、小説を発表。1917年、淡路丸偽電事件の首謀者として逮捕され朝日退社、下獄。1919年出獄後、自らの宗教的告白『我れ爾を救ふ』を出版。一燈園の西田天香と交流する。この頃から「婦人倶楽部」「主婦之友」などの婦人雑誌に家庭小説や宗教小説を執筆するようになる。さらに倶楽部雑誌、少年少女雑誌でも活躍するようになり、講談社の雑誌が主舞台となる。1927年(昭和2年)から「少年倶楽部」に登場、1930年の『敵中横断三百里』で人気を博す(戦後に監督森一生、脚本黒澤明により「日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里」として映画化)。また『亜細亜の曙』『大東の鉄人』などの本郷義昭シリーズも広く知られる。

 

 

戦後は『実録・アジアの曙』など自伝的回想を発表している。また、海外のエンタテインメント作品をジュニア向けに翻案した作品を発表。なかでも1954年よりポプラ社から刊行したシャーロック・ホームズシリーズの翻案は、題名や設定を大幅に変更した怪作として知られている。

 

 

山中未成、大窪逸人、石上欣哉、三条信子など、ペンネームも用いた。

 

 

主な著作
以下で『→』が挟まるのは、雑誌掲載後に単行本化された作品で、『→』の左が掲載雑誌、右が単行本の出版社である。

 

 

『我れ爾を救ふ』全6冊、覚醒社書店(1920.11 - 1922.3)
『自舒伝 否』、覚醒社書店(1921.10)
『敵中横断三百里』、少年倶楽部(1930.4 - 9) → 大日本雄弁会講談社(1931.3)
『亜細亜の曙』、少年倶楽部(1931.1 - 1932.11) → 大日本雄弁会講談社(1932.9)
『大東の鉄人』、少年倶楽部(1932.8 - 1933.12) → 大日本雄弁会講談社(1934.6)
『万国の王城』、少女倶楽部(1931.6 - 1932.12) → 大日本雄弁会講談社(1933.3)
『見えない飛行機』、幼年倶楽部(1935.4 - 1936.3) → 大日本雄弁会講談社(1936.3)
『世界無敵弾』、幼年倶楽部(1936.4 - 1937.7) → 大日本雄弁会講談社(1937.6)
『覚(ボダイ)に生きる』、二見書房(1941.11)
『実録・アジアの曙』、文藝春秋(1962.2 - 10)→ 文藝春秋新社 (1962.10) 
『実録・アジアの曙 第三革命の真相』、文藝春秋新社(1963.11)
「名探偵ホームズシリーズ」ポプラ社。1956年~1957年 (このシリーズは内容の順番と巻数表示が殆ど合致していないと云われている。<>内は内容による順序。) (「長編」と記載してあるもの以外は、短編集) 

 

 

><5>スパイ王者(黄色い顔、謎の自転車、スパイ王者) 1956年3月10日初版
<8>火の地獄船(火の地獄船、奇人先生の最後、床下に秘密機械)1956年3月10日初版
<13>獅子の爪 (試験前の問題、写真と煙、獅子の爪、断崖の最期)1956年3月25日初版
<9>鍵と地下鉄 (歯の男とギリシャ人、鍵と地下鉄、二人強盗ホームズとワトソン)1956年3月31日初版
<1>深夜の謎(長編。原題「緋色の研究」)1956年4月20日初版
<14>踊る人形(虎狩りモーラン、耳の小包、踊る人形)1956年4月25日初版
<3>怪盗の宝(長編。原題「四つの署名」)1956年4月25日初版
<4>まだらの紐 (六つのナポレオン、口のまがった男、まだらの紐)1956年5月30日初版
<2>恐怖の谷(長編)1956年7月5日初版
<11>王冠の謎 (王冠の謎、サンペドロの虎、無かった指紋)1956年5月25日初版
<15>悪魔の足 (悪魔の足、死ぬ前の名探偵、美しい自転車乗り、アンバリ老人の金庫室)1956年6月25日初版
<10>夜光怪獣(長編。原題「バスカヴィル家の犬」)
<6>銀星号事件 (銀星号事件、怪女の鼻目がね、魔術師ホームズ) 
<7>謎屋敷の怪 (青い紅玉、黒ジャック団、謎屋敷の怪)1956年6月20日初版
<12>閃光暗号 (閃光暗号、銀行王の謎、トンネルの怪盗) 
<16>黒蛇紳士 (一体二面の謎、怪スパイの巣、猿の秘薬、黒蛇紳士、パイ君は正直だ)1956年8月5日初版
<17>謎の手品師 (技師の親指、花嫁の奇運、怪談秘帳、謎の手品師)1956年8月30日初版
<18>土人の毒矢 (金山王夫人、土人の毒矢、悲しみの選手、一人二体の芸当)1956年10月1日初版
<19>消えた蝋面 (消えた蝋面、バカな娼婦、博士の左耳、犯人と握手して)1956年12月10日初版
<20>黒い魔船 (黒い魔船、疑問の「十二時十五分」、オレンジの種五つ、ライオンのたてがみ)1957年3月10日初版
 

 

 

関連項目
森川久美:『南京路に花吹雪』などの著作で本郷義昭やその中国人名・黄子満の名前を使った(ただしこちらでは「本郷義明」)。
荒巻義雄:『紺碧の艦隊』・『旭日の艦隊』シリーズにおいて本郷義昭を登場させたり登場兵器のモチーフに取り上げている。

参考文献
尾崎秀樹『評伝山中峯太郎 夢いまだ成らず』(中公文庫、1995年、ISBN 4-12-202441-2)
北原尚彦『発掘!子どもの古本』(ちくま文庫、2007年、ISBN978-4-480-423054)「原作より面白い?ポプラ社版『名探偵ホームズ」SS.30-39.