自然について エンペドクレス 藤沢令夫 訳 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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世界文学大系


ギリシャ思想家集


エンペドクレス 藤沢令夫 訳

自然について

一

パウサニアスよ、聞くがよい、かしこきアンキトスの子息よ。


二

人間の肢体にちらばっている感官は狭く限られてあり、
しかもそこに襲いきたって物想いを鈍らせる悲惨時の数々かず。
いのちあるあいだ、生のわずかな一部を見てとるや、
はかなくも死ぬ人間どもは、煙のごとく、空たかく運ばれて飛び去って行く。
彼らはかなたこなたへとこの世を追いまわされる道すがら、人それぞれがたまたま
出遭ったものだけを信じこんで、それをもって
全体を発見したと傲りたかぶる。
それほどこれらの物事は人間たちにとって、見がたく、聞きがたく


一〇

報復をもたらす死----


一一

おろか者たち! 彼らには遠きに及ぶ想いがない
彼らは かつてはなかったものが生じてくると夢想し、あるいは何かが死んで全くほろび絶えると夢想するのだから。


一二

げに全くあらぬものから生じてくるとは、不可能なこと
またあるものが全く滅んでなくなるとは、起こりようもなく聞いたこともない。
ひとがどこにそれを押しやろうとも、まさにそこのところにいつもあるだろうから。


一三

さらに万有のなかには、いささかの空虚も過剰もない。


一七

すなわち一方では万物[四元]の結合が、ある種族を生んでまた滅ぼし、他方では別の種族が、ものみな[四元]の再び分離するにつれ、はぐくまれてはまた飛散する。
そしてこれら[四元]は永遠に交替しつづけてやむことがない―――
あるときには「愛」の力により、すべては結合して一つとなり、
あるときには「争い」のもつ憎しみのために逆にそれぞれが離ればなれになりながら。
このように、多なるものから一なるものになるのを慣いとし、
また逆に一なるものが分かれて多となるかぎりでは、
そのかぎりでは、それらは生成しつつあるのであって、永続性をもってはいない。
しかしそれらが永遠にやむことはなく交替し続けるかぎりでは、
そのかぎりでは、それらは円環(週期)をなしつつ常に不動のものとしてある。

エンペドクレス Empedocles

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エンペドクレス(Empedocles、紀元前490年頃 ? 紀元前430年頃は、古代ギリシアの自然哲学者、医者、詩人、政治家。アクラガス(現イタリアのアグリジェント)の出身。四元素説を唱えた。弁論術の祖とされる。名家の出身で、彼の祖父は紀元前496年に行われたオリンピア競技(競馬)で優勝した。彼自身も優勝したことがあるようだ。ピュタゴラス学派に学び、パルメニデスの教えを受けたとされる。

逸話
強風がアクラガスの町をおそったとき、エンペドクレスは人々にロバの皮でたくさんの革袋を作らせた。それを周囲の山の尾根に張り巡らせ、風を鎮めた。それから人々は、彼のことを「風を封じる人」と呼んだ。

エンペドクレスは自由精神を重んじ、権力に屈しなかったという。執政官の一人から食事に招かれたとき、賓客たちのなかに評議会の監督官がいた。その男は座長に指名されると、他の賓客たちに酒を飲み干すか、頭にそそぎかけることを強要した。その振る舞いを見たエンペドクレスは、翌日その男を法廷に告発し、有罪とさせた。

あるとき、セリヌゥスという町の住人が、付近を流れる汚染された川から広がった疫病に苦しんでいた。それを聞いたエンペドクレスは、私財をなげうって土木工事を行い、別の川の流れを汚染された川に引き込み、中和させて疫病を鎮めたという。

派手好きだったのか、金冠を頭に戴き、紫色の衣に金のベルトを巻いて、デルポイの花冠を携えて、諸都市を巡り歩いたという。

「ひとりの知者も見いだせない」と語る人に対して、こう答えた。「もっともだ、知者を見いだすには、まずその人自身が知者でなければならないからね」

エンペドクレスの死については、エトナ山の火口に飛び込んで死んだ、馬車から落ちた際に骨折しそれがもとで死んだ、などの説が残されているが真偽ははっきりしない。

思想
物質のアルケーは火、水、土、空気の四つのリゾーマタ(rizomata:根)からなり、それらを結合する「ピリア(φιλια philia:愛着)」と分離させる「ネイコス(neikos:憎)」がある。それにより四つのリゾーマタ(四大元素)は、集合離散をくり返す。この四つのリゾーマタは、新たに生まれることはなく、消滅することもない。 このように宇宙は愛の支配と争いの支配とが継起交替する動的反復の場である。

また、太陽は巨大な火のかたまりであり、月よりも大きい。天は、氷のように冷たいものが集まってできており、星々は火のリゾーマタが集まってできている。

これは後世に四元素説とよばれた。

魂は、頭や胸ではなく血液にやどっているとした。魂の転生説を支持し、「わたしはかつて一度は、少年であり、少女であり、藪であり、鳥であり、海ではねる魚であった」と述べた。また、最初の人間は、土から頭や腕や足などの体の一部が最初にでき、それらが寄り集まって生まれたと説いた。

感覚について考察し、視覚は目から光が放出されて、対象物にあたることによって生じ、聴覚は耳の中にある軟骨質の鐘のような部分が、空気によって打たれることにより生じるとした。

磁力の起源についても考察した。