石森延男 グスベリ  | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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日本児童文学体系
 

 

 石森延男

 

 

グスベリ

 

 

木のめ 草のめ やがて日光がいっそう明るくきらきらとさして、木のめが、いっぺんにふきでてくる。かたかっためがふくれて、やわらかになり、ぱちっとはじけてひろがる。そのうすみどり色のきれいなこと、その形のかわいいこと、なんといったらいいだろう、色彩でもない、むしろ光線といったほうがいいかもしれない。いや、光線でもない。あたたかさそのものです。 ヒバリと風船 青空では、ヒバリたちがせいいっぱい鳴きつづけているのを耳にしながら、私は、すごすごと草原にもどり、あおむけになって、また、ごろっとねそべり、目をとじました。やわらかい雑草が風にふかれて、耳たぶにさわさわとふれます。わたしは、毎日毎日、こうしてヒバリのあとを追いかけました。けれどついぞ、すは見つかりませんでした。 川づり 川の水は、目の前を流れているので、水の音が近くにひびいてきます。かと思うと、すうっと遠ざかっていきます。どうしてだろう。同じ川の流れなのに、同じ位置で聞いているのに、なぜこんなに音がかわるのだろう。おにぎりを食いながら考えてみる、いくら考えてもわからない。 胸つまりナシ わたしと邦ちゃんは、胸つまりナシの木のつめたいえだにつかまりながらのぼって、ナシの実をもいで食べます。しかたなしかじって食べるといったかっこうです。というのは、このナシの実は、ほかのナシのように、すべすべしたきりょうのいいものではありません。いかにも皮がざらついているし、固くて、食べられる肉はうすく、水けがとぼしい。そのうえぼさぼさで、飲みこむときなどは、胸につまるような気がする。だから「胸つまりナシ」なのです。 グスベリ よく見てください。きらきらした宝石みたいな光が、ぽっちりとかがやいていますから。そのかがやきは、ひたすらに春を待つよろこびなのです。このささやかなよろこびがあればこそ、北国の子どもたちは、冬という時期、どうにもならない現実をすなおにうけいれ、おとなしくこうさんしてしまうのです。 空窓 火の神だけではない、いろいろな神を信じている。神さまがいるか、いないか、それはべつにしても、ばちがあたってはこわい。 そんなことすらうたがわないで、心からアイヌの神さまを信じている。子どものときからまようことなく、火の神でも川の神でも、クマの神でも信じている。だから、アイヌの子どもは、けっして神をそまつにしない。ただひとりでいるときも、わるいことをしない。 神が見ていると思うからだ。 ふぶき 夜明けを、ふぶきが荒れくるっています わたしは、カメみたいになって、かけぶとんから、首だけだして、じっとふぶきを聞きます。モイワおろしの風が、ものすごくおそいかかるので、つもった地上から、雪はたつまきのようにまきあがる。それが、冬木立ちにのしかかり、えだをびゅうんびゅうんなびかせ、みきをしなわせ、うなりをたてて荒れくるう。 すえぶろ 夏、秋のあいだは、まだいいのですが、冬になると、これはいちだん大仕事になります。井戸のまわりは、氷でつるつるすべる。つるべなわも、かちかちにこおってしまうので、手がちぎれそうにつめたい。歩くたびに、手おけの水がぽちゃんぽちゃんすそにはねて、それがこおって板みたいにがわがわになる。ふろの水くみには、かあちゃんも春ちゃんもかたをはらしてしまう。――こんなにして、やっとみたすおふろの水ですから、そまつにつかえない。おふろにつかって、お湯がざあっとあふれたりすると、かあちゃんは、すっと立ちあがって、 「もったいない。」 といいます。 雪どけ わたしの家のまわりで、雪がきえて、いちばんさいしょに地面の出てくる場所は、南側の軒下で、ちょうどおとっつあんのへやの前です。はば五十センチ、長さ三メートルほどの黒い地面が、土台石によりそってあらわれてくる。 わたしは、土の上にしゃがんで、手のひらを土の表面にかざしてみる。まるで火にでもあたるようなかっこうです。地面からは、なにか新しいものがふきあがってきて、手のひらを下からおすような感じ。

 

 

 

石森延男

 

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 1987年8月14日)は、日本の児童文学者、国語教育学者、教科書編集者。

 

 

来歴・人物北海道札幌市生まれ。東京高等師範学校卒。中学校教師ののち、1926年、大連の南満洲教科書編集部に勤務し、『国語読本』を編集。1939年、文部省図書監修官となり、国民学校教科書を編纂、戦後、最後の国定教科書を編纂する。そのかたわら1926年頃から児童文学の創作をし、日中戦争当時の満州国を舞台にした少年小説『咲出す少年群』(1939)で第3回新潮文学賞[1]、北海道のアイヌを主人公とした『コタンの口笛』(1957)で未明文学賞、『バンのみやげ話』(1962)で第1回野間児童文芸賞受賞。昭和女子大学教授をしながら国語教科書編纂を続けた。1981年に今江祥智、尾崎秀樹、河合隼雄、栗原一登、阪田寛夫とともに児童文学季刊雑誌『飛ぶ教室』の編集委員となり、同誌を創刊。主要著作をまとめた『石森延男児童文学全集』全15巻がある。

 

 

著作慕はしき人々 少年少女文学物語 培風館, 1926
咲きだす少年群 モンクーフォン 新潮社, 1939
東亜新満洲文庫 修文館, 1939
幼な児へのお話 母のために 横山書店, 1940
綴方への道 東京修文館, 1940
ひろがる雲 三省堂, 1940
ふるさとの絵 三省堂, 1940
燕たち 三省堂, 1940
日本に来て 新潮社, 1941
赤い木のみ 筑摩書房, 1942
スンガリーの朝 大日本雄辯會講談社, 1942
三つ子の魂 光風館, 1943 (女性新書)
上下左右 鶴書房, 1943
新らしい芽 自由建設社, 1947
子供の生活と童話 振鈴社, 1948
わかれ道 光文社, 1948
なかよし 二葉書店, 1949
国語教育諸島 中央社, 1949
国語学習の入門 金子書房, 1949
一わのおおむ 曹洞宗宗務廳社會部, 1949
ぼくとなこちゃん 幼年佛教讀本 佛教年鑑社, 1949
わが作文教育 修文館, 1953
あなたのことば 青葉書房, 1957
たんじょうかい 青葉書房, 1957
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コタンの口笛 1-2 東都書房, 1957 のち偕成社文庫
パトラとルミナ 1-2 東都書房, 1959
たのしい話のはなし方と作り方 教師と父母のために アジア出版社, 1959
作文二十話 近代社, 1959
欧洲遍路 教育随想 光村図書出版, 1960
親子牛 講学館, 1961 (日本の子ども文庫)
ラバンドの花 随想集 光村図書出版, 1961
バンのみやげ話 東都書房, 1961 のち角川文庫
ふしぎなカーニバル 東都書房, 1963
石森延男小学生文庫 1~6年生 講談社, 1965
生きるよろこび 中学生におくる 講談社, 1966
桐の花 大阪教育図書, 1968
創作童話作法 いとし子にお話を あすなろ書房, 1968
犬のあしあと さ・え・ら書房, 1969
千軒岳 東都書房, 1969 のち角川文庫
黄色な風船 あすなろ書房, 1969
グスベリ 大阪教育図書, 1969
石森延男児童文学全集 全15巻 学習研究社, 1971
かみのけぼうぼう 文研出版, 1972
とんびかっぱ 文研出版, 1972
シオンの花 あかね書房, 1972
タロチャンのまほうのタオル 金の星社, 1972
梨の花 マンロー先生とアイヌたち 文芸春秋, 1972
いえすさまのおはなし 女子パウロ会, 1973
七十七番のバス あすなろ書房, 1974
母なる人 女子パウロ会, 1974
ナザレのあけくれ 探究社, 1975
わたしの落穂ひろい 随想 あらき書店, 1983
ねむの花 石森延男先生書簡集 篠田啓子編 一葉庵 1989
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