吉田 甲子太郎(よしだ きねたろう) 「兄弟いとこものがたり」 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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日本児童文学体系

 

吉田 甲子太郎(きねたろう)

兄弟いとこものがたり
 
   自転車のゆめ

---これは、こどもたちへのクリスマスプレゼントをつくるのに忙しい各工場のようすを写した、アメリカのニュース映画の一部である。
 自転車の画面が消えたとき、ススムは、思わず息をふかくすいこんだ。アメリカの少年たちがうらやましかったのである。彼には、アメリカにいる少年たちは、ひとりのこらず、あの箱にはいった自転車がもらえるものだという気がした。
 ススムの学校では、疎開さきの寺に二台そなえてあった。疎開していたのは、三年生と四年生であったが、四年の生徒は、みんな自転車に乗るけいこをした。二キロほどはなれた町へ、ときどき、使いにいかなければならなかったからだ。わけても、ススムは自転車に乗ることがすきだった。それだけに、また、じょうずでもあった。
 
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 一週間ばかりたった、ある日の夕方、ススムのお父さんが、とてつもなく大きな声をだして、門のとびらをあけた。
「ススム、ほんものの自転車がやってきたぞ---」
「なんですね。門のそとから、そんな大きな声をだして。」
 お母さんが台所口から、きびしくたしなめた。おかあさんも、ススムも、おとうさんが、急に、どうかしたのではないかと思った。だが、何はともあれ、ふたりとも、門のところまで飛びだしていった。
 おとうさんは、なれぬ手つきで、かた手で一台の自転車をおさえて、かた手で、ひたいの汗をぬぐっているところだった。


 吉田甲子太郎

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

吉田 甲子太郎(よしだ きねたろう、1894年3月23日 - 1957年1月8日)は、翻訳家、児童文学者。群馬県生まれ。早稲田大学英文科卒。在学中より山本有三に師事、朝日壮吉などの筆名を用い、中学教師のかたわら、『新青年』などに探偵小説を翻訳するが、1927年ころから児童文学に移行し、少年小説を書く。1932年、新設された明治大学文藝科で、科長となった山本の推薦で教授となる。戦後は児童雑誌『銀河』に携わる。弁護士で明治大学理事長の吉田三市郎は兄。

 

 

著書
負けない少年 朝日壮吉 三学書房 1941
源太の冒険 朝日新聞社 1947
ジェレミと逃げた友だち 雁書房 1947
かけあしカボチャ 雁書房 1948
兄弟いとこものがたり 新潮社 1948
銀河名作選(編) 新潮社 1950

 

 

翻訳
殴られる「あいつ」 オニード・アンドレエエフ 玄文社出版部 1923
卵の勝利 シャーウッド・アンダスン 新潮社 1924
賤民の王 サックス・ローマ 沙漠の船 オースティン・フリーマン 春陽堂 1930 (探偵小説全集)
黄水仙事件 猟奇秘話 エドガ・ウォレス 尖端社 1931
サランガの冒険 アッティリオ・ガッティ 大日本雄弁会講談社 1941
海の子ハービ キップリング 講談社 1941
蜘蛛の巣の家 ジョージ・ギッシング 岩波文庫 1946
アンクル・トムの小屋 ハリエット・ビーチャー・ストウ 筑摩書房 1950
子鹿物語 マージョリー・キーナン・ロウリング 新潮社 1951
小公子 フランシス・エリザ・ホジスン・バーネット 岩波少年文庫 1954
空に浮かぶ騎士 海外少年小説選 新潮社 1956
勇敢な仲間 C.J.フィンガー 岩波少年文庫 1956
ジャングル・ブック キップリング 新潮文庫 1957
スケッチブック ワシントン・アーヴィング 新潮文庫 1957
ワンダ・ブック ナサニエル・ホーソン 新潮文庫 1957