再び子供たちへ | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

 再び子供たちへ お母さんを守ってやりなさい、父はあと十年位だから、父が癌の時言わなかった
ことを今言う、お母さんを守ってやりなさいと、助け合って、支え合って、生きて生きなさい、素直
な優しい心を守り育てて、生きて生きなさい、何才に成っても、今父は何も書けない、ただこの世界
を、この一日を感じていたいばかり、神、宇宙、私、何も成せない、自殺をはかったO、あの時君は
、人を試したのだろうね、一人の共感者が得られないことの悲しみ、私も、母君も、弟も、誰も君の力にはなれかった、未遂後の君の興奮、あれは私達への怒りだったのだろうね、優しくされても、ダメな時はダメだったんだろうね、今の私も一瞬自殺への願望が横切る、生き難さ、ハンデイ、世界に対する
締観、怒り、泣く時、神を、超越を求める心が生まれる、自己をいとおしむ心も、それは素直、優し
さ、嘆くまい、世界は今飢えている、誰の為に、何の為に生きるのか。誰も何も求めはしない、何の
目的も君には課されていない、だとするなら積極的に死ぬのが正しいのか、自死の哲学、キルケゴー
ルとは違う、自らを救う為の哲学、Sの言うように、あの世で待つ人、私にもいるのだ、父がきっと
待っていると。カフカ、人生に意味がないことを誰よりも分かっていて、自殺しないで生き抜いたの
だろう、この無意味と闘うことを使命として、真の作家として、かつて、青春時代、自殺に憧れ、逃
避的に求めたことはあった、が今、此れ程力強く、目指したことはない、飛行機を操縦し、燃料が切
れるまで飛び続け死んで行ったとの新聞記事、私も癌の進行を待って、治療せず、今度は死のうと思
う。一人の人間との共感が得られないと知った時、人は人生の意味を失うのだった。自殺した者の愛
を今知る。人に意味があったから、自分の無意味があったカフカ、自分の無意味、これ程の不条理、
疎外があるだろうか、自分以外は目的存在、意味存在とは、私はかつて、真剣に自分の無意味を問う
ことはなかった、自分の罪も問わず、全てをアウヘーベンし、ナルシズムで、いつ死んでもで越えよ
うとした、が、実存の極限を考える時、やはり、自分の無意味は、社会的存在をしていく限りは考え
るものであった、自死を本気で考える時、自分の罪、無意味も引き付けて考えられるものであった、
人は意味存在の中で生きる限り、どのようにだって生きられるだろう、誰かが助け、しかし、無意味
に目覚めた時、人はどのように、
 CBS,BBC,のドキュメント、衛星放送の世界のニュース等の、個人の、国の不条理に対し、
文学は挑戦出来ないのか、有効性が持てないのか、たかが文学、庭いじりじゃなく、ツアラトウトラ
のような、マーラー、ワーグナーのような、世界の悪は全て知られ、宇宙も神秘性はなくなり、人は
いったい何に喜びを見い出すのか、旅、女、酒、趣味、健康で長生き、果たしてそんなものの中に喜びがあるのだろうか。
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
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