文学が真にやりたいこととは | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

 寝て、起きた、愛し、闘った、などと書きたくないのだった。日常も非日常も超越する完全命題、
銀河の地球の紙ペラの大気に包まれた中のDNAのことなど、そこで何を考えたとて、ただ花は咲き
、鳥は歌うだけ、私は寝て起きて、愛し闘うしかないのか。
 今や私のテーマは非文学、文学的テーマは何を見ても聞いても触発されない、次元が違うと思え、
真実は追求出来ない、真実は限定的なもの、哲学の定義範囲の無いもの、それを、宇宙には限りが
あるか、無いかとやっているようなもの。科学が、クオークの中に更に何があるかとやっているよう
なもの、文学が真にやりたいこととは、実存的交わりだろう、存在と人に対して、一般的な交わりではない、存在者どうしとしての交わりをこそ表現したいのだろう。
 芸術が人に与えられる影響とは、人の意識、精神に他ならない、だとするなら、散文でも何でもい
い、新しい意識、精神こそ必要なのだ。
 いつ死んでもいいかなの感情から、いま透明な、あの光、風、水、生きものたちのような存在への
神秘と肯定だけのような作品を書きたい。静かに、孤独に、存在を語りたい。人に語る形式を拒んで
人に語る方法で。
 私は私の過去を物語りたくはない。過去とは、私の休火山、生きている記憶の喜び。そして、現在
も生きてなを積み重ねている、私の意味、秘密のカギ。
 ブランコに乗った、五十回漕いだら身体が熱くなった、下に揺れる時の頭にクワンとくる不安、もう一度歩けて食べれてと願っていたSさん、ブランコには乗りたくなかっただろうか。川を見ていると一人に帰った気持になる。青年時代、悩んでは木曽川へ行った、ただ行く川の流れを眺めていただけだが、
収入は得るしかない、しかし、転移があれば、一年後に死ぬかも知れないのに。
 妻も子も私を理解はしない、私の意識を必要とはしない、一匹の猫が私に身を摺り寄せてくる、こ
の感触は何んだろう。
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
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