昨夜来の意識の流れ | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

 、何思うことなく夜を迎えていた。妻が帰り「来月から仕事が減ってしまう」
と、「切りつめていけば」と、「どこを切りつめるのよ、貯金はドンドン無くなっているし」と、寝
る時になって「もう疲れた、一生働らかなきゃならないなんて、老後が不安」と。私が働かなければ
、が体力に自信がない、季節は五月、木々の緑は日に日に変化、散歩の景色は様々な不安をかき消す、私はこの季節に包まれる為に、半年を生きて来た。私は冬でも夏でも、この空間に存在を許される為に、この五年間を生きて来た、石のようでいい、この空間に存在していたいと、が何気なかった一日に突然生彩をはなって訪れた意識、大きな不安、小さな不安が人をかくも緊張させることか、昨夜は寝苦しくて、死ぬときのことを連想した。Sさんの末期の苦痛と残す妻への心配、自らの消滅、虚しさよりも、残す妻への悔恨。何とこの五年間、子供のこと、生活のことが思索の間に出没していたことか。大きな問題ではある。多く、これらを描いた文学が成立しているのだった。
 妻の不安、暗さは私の実存に影響する。五年間をそれらの解決の為に使おうかとさえ思わせる。妻
の喜び、笑顔なくして私の求める実存は成立しない。私の実存とはどんな状況をも私個人において受
容することであったから。
 ガンで生還しても、その時実存に目覚めていても、人はいかに生きるかを選択する為に、自分を生か
さなければならない。働かないでは一日たりとも生きられない。一日働かざれば一日喰わずなのだっ
た。いかにとは、生きる為に働いた残りの時間の問題であったのだ。
 結局人はいかにを選べないのだった。即時的に生きるしかないのだった。対自的な生きかたとは有
閑者にして出来ることであったのだ。それも机上の対自であるのだった。サルトル、ニーチェ、カミ
ュ、ヤスパース、にしても、現実の肉体上の対自的生き方ではなかったのだ。シモーヌベーュのよう
な、自らを犠牲の中に生きた有閑者などいないのだった。
 対自も即時もない、圧倒的多数の人間の不条理、この不条理からの解決はやはり、永遠のテーマで
はあるのだった。
 働けなくなったら死ぬ、自らの意志で死ぬ、自殺はやはり不条理に対しての人の最大の武器ではあ
るのだった。
 自然の生きものたちのように、医者にかかることもせず、一人仲間を去って自然に還って行くよう
に。Sさんとの共感、老後を考えに入れず生きてしまったことからくる、私がその同じ道を歩いて
来ていることからくるSさんからの共感であったのでは、私もどこかでSさんに自分の未来像を
重ねていての共感、母はそんな不安から、不本意な再婚、再々婚をしたのでは無かったか、七十才近
くなって、拠るべのない不安に耐えられず、忍耐して生きているのではないのか。
 手厚く看病され死んでいく者と、淋しく孤独に死んで行く者と、生きる姿に、実存を生きる姿に、
どちらに意味があるのか、実存とは意識の最前列であるなら、後者にこそある。安楽死しようが悶死
しようが、人の意識の認識に違いないのなら、悶死の中にこそ人は、より人を意識するはず。安楽、
悟りの中には、人としての欠格があるのみ。どのように死んでも世界は何の変化も、ただ存在がある
ばかりで、かつて、何千億の人間が生まれては死んでいったが、世界に何の変化が?ただ、そこには人の幻ばかりが、奴隷、戦争、飢え、人の実存、不条理が見えるばかり。それら人の歴史を私は受け継いではいない。