フィクションが有効性を持つのはどんな時なのか | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

 「末踏」読み返してみる。一生懸命書いていると思える。フィクションで、小説仕立てでは書けなかったのだといま分かる。事実の重み、私の死、知人の死を、フィクションでは書けないのだった。フィクションが有効性を持つのはどんな時なのか、未だ私には分からないのだった。

「木の男」
進行性側索硬化症で死んだNさんを思い描いて、Nさんを見ていた私の救いを見い出そうとして書いた。私がああなったらどうするかということ、何よりNさんが夜中になると叫び声をあげ、同室の人に迷惑がられたと、死後看護婦から聞いた、そのことの驚きと無力、たった一人の共感者もNさんには無かったのではないかと、私はといえば、仕事や自分のことに囚われ、見舞いも二度行ったきりで、逃れていた。懺悔と覚悟の作品であった。私も誰とも共感なく終わるだろう、その時一本の木に私は共感を寄せて、木になってと。あの時私は、自分の発病など考えていなかった。しかし、それは予知のように、私の発病の二年前であり、癌は進行していたのだった。

「花」
死者への共感からだろう、花を手向けてくれる人がいること、墓参りしてくれる人のいることの喜び、死とは生者のものであるのだから、生きている中にある心地良さは、死の受容が大切なものであった。子にとって母の手向けてくれる花が、何より美しく喜びであった。

  「G線上のアリア」
 私のKへの罪、絆の確認が動機だった。Kは離婚、病後の生活の不安などから堕ち込んでいた。母のような、時に父のような、全てを受容し導いてくれる者としての存在を求め、どこかで私にその代用を頼んでいた。が、その頃の私には理解不能だった。私は自力で切り開いて生き始めていた。私にはまだ人の弱さ、哀しさが解らなかった。為にKの求めも知ることもなく、むしろ、私は更なる情熱に向かって自己を強めようとしていた。Kに私は自殺するほどの覚悟や、勇気があるのなら見せて欲しいと思ったのだった。自殺する者への嫉妬、羨望があった。「死ねよ」と私はKに告げていた。Kは母の予感によって助けられた。作品ではKを殺してしまったが、現実には生きている、私とは以来結ばれた絆でもって。そのKが今、C型肝炎にかかり困難な日々を送っている。

  「死者の物」
銀河鉄道の中のサソリ座の話、アウシュビッツの話、知人のMさんの死、私は人の自己犠牲の精神ということを考え、越えられない壁を感じていた。罪の問題も、生存するだけで罪であり、人の罪は自己の罪であることも、そして、Mさんの死の虚しさ、人の営為の不条理。私は捉えたいものとして死の周辺を回り、逃げ帰っていた。個人的な私において、私の死の受容がなされていない限り、他人の死、戦争、etcの悲惨は常に、君は、私はと、自らへ跳ね返ってきてしまうものであった。私の死の解決が実感をもって、いつ死んでもいいと受容されていないなら、常に偽善や、二律背反に陥る人の原罪、不条理であったのだつた。

  「癌体験」
 まだ五年。読み返すと、まざまざと体験が蘇る。助かることを信じていた私は、自分の体験を必死に見ようとしていた。時に感情を飛躍、誇張させ、私の実存、私の死を捉えようとしていた。またとない体験と、刻印するようにあらゆる感情を焼きつけ、メモした。あの頃の日記、手帳の中にはくめども尽きない、テーマ、モチーフがある。例えば屋上に書かれていた落書の事、私はあの時、妻に対しあの少女のような、私という生命への愛おしさを求めていたのだった。妻は妻なりにあったのだが、私は少女の一途さに嫉妬していた。私は少女の一途さを自分の中に求めることによって生きようとしていたのだが。人生とは何んぞやなどと考えたこともない、豊かな社会の、普通の男女に突然襲いかかった病魔、恋人が、日常が、意味を持って迫った。生命、少女は激しく抵抗した、不条理に立ち向かった。恋人の生命の終末を通して知らされた。日常の意味、人の存在の意味、少女の認識を通して浮かびあがった。
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