私独自の(私の死の)所有 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

 この地上で人は働き、学び、喰い、時に遊び、そして人知れず死んでゆく。働き、喰い、働き、喰いと。―――。私にとって生きた満足感がいつ死んでもいいかなの感情を、この五年間一日一日を生きてきたのだったからと。これはがむしゃらではない、死を見つめ、生を見つめての充実、刻一刻であった気がする。かつて青春時代、もっとめまぐるしかった。しかし、それは死を見つめてではなかった、駆けていただけ。見つめて走る、見つめて進むことが―――。名誉や地位、金で、いつ死んでも、の感情は得られない。この充実、何気ないものに、日常に、この空間に存在するだけでいい感情、全所有の感情。全部捨ててもいいという感情の中にあった。結局私は、最初に出会った実存の命題であった、私独自の(私の死の)所有をめざしてきていたのだった。戦場での強制された死の受容ではなく、死期を知っての受容でもなく、私独自の死の受容。方丈記とも、梶井とも、堀辰雄とも違う私の受容。タルコフスキーの水、緑、あれは死を強制された(ガン)中でのノスタルジーから生み出されたものだったのだ、水、緑への懐かしさ、いとおしさ。最後に廃墟に座り、雪が降るシーン、自分の死との対峙がよく出ていた。

 フェルメールの絵が自己完結形だという、視線を見る側に向けていない。静かな空気、日常の営み、ただ存在しているだけのような、遠近法ではなく、平面的な。私もフェルメールのようにありたい、エネルギーに満ちた人々を見ていると、私には出来ない、私自身の方法でしかと。イメージの断片の集合、独白形でしか、知識、技術は、生きている間には身についてくるもの、しかし、心のテーマの問題、何を、何の為に、何故といった、生涯にわたって関わる問題は、巧さでは解決できないのだった。