知覚の現象学 序文3 メルローポンティ | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

 知覚の現象学 序文3 メルローポンティ
哲学とは永遠の開拓者なのである。このことの意味は、哲学者というものは世人や科学者達が知っていると思い込んでいるどんなことでも既得のものとは看做さない、ということだ。このことの意味はまた、哲学というものはみずからがかつて語りえた真実のことさえも既得のものとは看做すべきではない、ということでもあり、哲学とは己れ自身の端緒のつねに更新されてゆく経験である、ということでもあり、また哲学は一にかかってこの端緒をば記述するところに在る、ということでもあり、また最後に、徹底的な反省は自分自身が非反省的生活に依拠していることを意識しており、この非反省的生活こそ反省の端緒的かつ恒常的かつ終局的な状況である、ということでもある。現象学的還元とは、一般に信じられてきたように観念的哲学の定式であるどころか、実存的な哲学の定式の名のであって、それゆえハイデガーの<世界=内=存在>も現象学的還元を土台にしてのみ現れたのである。

かつて若き日、実存主義に最初に触れた時、「実存主義とは人間存在の独自のあり方をさまざまな角度から照らし出し、それをひとりひとりに自覚させようとする試みである。道具存在や、事物存在の人間疎外からの脱出の道を見出していこうとする企てである」に自由への道を感じ、いま歳を重ね現象学に触れ、自由を感じる。