怒涛の7月がようやく落ち着きを取り戻しつつあります。

 

ピアノの先生がご出演された演奏会を含めると

合計7回聴きに行きました。

 

来月の音楽鑑賞は0回の予定。

本当に集中した月でした。

 

気温の高さと湿気で体の調子を整えるのに苦労。

母の様子も心配があり先生に相談したり、

その他諸々頭を悩ますこともありますが、

音楽鑑賞に行くことで気が紛れました。

 

忙しかったけれど、

たまにはこんな月もあるといいのかもしれない。

 

でももう当分は家の雑務や母のことに集中しようと思います。

 

クララ・シューマンと息子フェリックス

 

今朝は

クララの伝記の続きを読みました。

1878年後半から79年で

末っ子のフェリックスの肺結核が悪化し、亡くなる時期です。

 

フェリックスについては以前書いたので

今回は感想がメインです。

 

日記やブラームスを含めた友人への手紙に、

フェリックスの状態が書かれており、

感傷的になるまいと思いながらも

読みながら涙が止まらない。

 

自分は年をとり、

これからの人生があるはずの

まだ若い我が子の命が消えていくのを

見守るしかない過酷さ。

 

伝記を読んでいると、

クララの人生は

波瀾万丈といいますか、

試練と至福が共に押し寄せてくるような激しい運命にある人だと感じました。

 

フェリックスが亡くなる時期も、

ピアニストとして演奏の依頼が絶えず、

普段よりも演奏会が増えているほどです。

 

プロデビュー50周年で

聴衆や友人・知人など

国内外の人々に熱狂的に迎えられ

賞賛され祝われます。

 

最悪の心の苦しみと最高の祝福が同時に。

 

音楽家としてデビューした子供の頃から人気があり、

亡くなるまで多くの人に愛され尊敬される人生。

 

ロベルト・シューマンやヨハネス・ブラームスに深く愛され、

曲も捧げられ、

子供達にも愛される一方で、

 

父親には愛と教育を一心に受けつつも

シューマンとの恋愛と結婚を大反対され、

ありえないほどひどい仕打ちを受けて深く傷つきながらも

愛を貫き、

裁判で結婚の許可を勝ち取る

 

家計を支えるため

主婦とピアニストの両立

ロベルトの病気で

次第に苦労も増え

精神科の病院に入院した夫には会えないまま

悲しんでばかりもいられず

家族の責任を負わなければならない

 

子供たちは自分より先に亡くなっていく。

 

激しい乱高下の人生です。

 

そんなクララの支えは音楽であり子供達だったようです。

 

フェリックスの症状が悪化して静養中のイタリアから帰国した時、

クララたちは引っ越したばかりで

家も整っていませんでした。

 

整うまでの間、病院に入院していたのですが、

その時フェリックスのすぐ上の姉であり

回想記を書いたオイゲニーがイタリアからの移動から

ずっと付き添い世話をしていました。

 

フェリックスとオイゲニーだけが

父シューマンの記憶がなく、

小さな頃はニコイチで一緒にいた仲良し。

 

クララがフェリックスの訃報をブラームスに知らせた時、

ブラームスは

そのオイゲニーのことをとても心配していました。

 

 

幼かったオイゲニーも成長するうちに母との距離が縮まり

心が通じ合う友のように

長女マーリエと共に

クララの心の支えとなっていったようです。

 

 

人生は喜びと悲しみが常に混在しますね。

 

お読みくださりありがとうございました。

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