最近、正直言うとかつて無いほど忙しいです。
が、フルカップ理論を実践しています。
フルカップ理論て…?
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フルカップ理論というのは、心のゆとりをコップに注ぐ水に例えたものです。
コップに注ぐ水は、目一杯満たされて初めて外へと溢れます。
それと同じで人の心も満たされなければ、自分のことだけに留まり、自分以外の人や事柄に目配り気配り出来ないそうです。
やらなければいけないこと出来ていない、責任を果たせていない、やると決めたことをやれていない、こういった状態では心は満たされていない=視野も世界も狭くなる、自分のことで精一杯、ということです。
これは杉村太朗さんの『絶対内定2013』に書いてあり、とても衝撃を受けました。
確かに今まで“両立”ということが苦手で、1つのことに打ち込むタイプでしたが、そのせいか驚くほど世界が狭い人間でした。
というか、今自分が居る場所より外の世界へ興味を持つ“きっかけ”すら無かったのだと思いす。
最近は学業に部活に就活…
今までだったらどれか切り捨ててたんですが、これからはフルカップ理論を実践します!
11月は不慣れでペース配分が全く分からず2週間ほど体調を崩してしまったので、反省して頭の切り替えと時間管理をきっちりやっていきたいと思います。
最近新しく知り合った方々、みなさんスゴい方ですが、やっぱり仕事が出来る人とか本当に良い人って、本当に色んなとこ見れてるんですよね。私なんかよりはるかに大人だからってのもあると思いますが、本当に世界が広いです。
しかも愛妻家が多いってのも共通してて、ちゃんと心が満たされてる証拠なんだろな~と思いました。
私も不慣れながらも意識が変わったこの生活をもっともっと充実させていきたい今日この頃です。
師走は忙しくてナンボということで!
こんな会話、女の子だけでしょうか?
★例えばテストの直前
A:「え~ヤバい全然勉強してない、どうしよ~!」
B:「いやいや私の方がしてないよ~!Aちゃんはやってないとか言って何だかんだいつも良い点取るじゃん!」
C:「そんなことないって!Bちゃんこそいつもやってないとか言いつつ予習復習だってちゃんとやってるじゃない!私が一番ヒドいよ、きっと!」
ってな感じのやりとり。
“勉強が足りていない”という不安を他の人に話すことで共感してもらって安心を得ようとしているのか、学生時代によく耳にしたことのある会話だと思います。
この会話で慰め合ってた3人の中で仮に1人だけ満点を取ったとしたら、残りの2人は
「やっぱり勉強してたじゃない!」
と若干裏切られたかのように一言口にして、まるで自分は“勉強をやらなかったから点が低くても仕方ない”というようなニュアンスでまた自分達を慰める。
これって努力したのに結果が出なかった時のことを恐れて逃げているだけだと思います。
A:「私全然わかんないや~」
B:「私も私も~」
A:「え!?Cちゃんはそんなのやってんの?がっついてるね~!それ何か意味あるの?私なんてわかんないから何もやってないや~!」
B:「私も私も~だってわかんないもんね!」
この会話だとCちゃんは“正しいのかわからない努力をしてるなんてまるでアホみたい”かのように言われていますが、何が正解なのかわからないなら、それこそ“何か”やってみるしかないんじゃないかと思います。
ただ「わからない」と言って同じような人と慰め合いながら、いつかわかるようになるのを待っていたって絶対に何も変わりません。
間違っていたら辞めて、違うことに取り組んでみて、悩んで、迷って…そうしている方がよっぽど“何か”わかるんじゃないかと思いますし、そう信じていきたいです。
人それぞれ色んな考え方、やり方があると思います。
だからもちろんどれが“正解”というものなんてないけれど、でも他人が自分で考えて選んで取り組んでいることを、軽蔑したり否定するのはとても失礼だと思うんです。
みんなと一緒じゃないと、みんなと同じじゃないといけないなんて、周りに守ってもらってる子どもの頃のこと。
誰も守ってくれない世界に一歩踏み出て、自分の考えや発言に責任を持ち、自分の意志で精一杯“何か”に取り組んでいくことが大人になるということなんじゃないかな?と思いました。
だからいつまでも自分に覚悟を持たず、他人を眺めては慰め合うようなことをしていては、きっとやりきれない大人で終わってしまう。
それでは悔いの残る人生になってしまうから、たとえ少しずつでも、勇気を出して、覚悟を決めて、素敵な大人を目指していきたいと思います。
★例えばテストの直前
A:「え~ヤバい全然勉強してない、どうしよ~!」
B:「いやいや私の方がしてないよ~!Aちゃんはやってないとか言って何だかんだいつも良い点取るじゃん!」
C:「そんなことないって!Bちゃんこそいつもやってないとか言いつつ予習復習だってちゃんとやってるじゃない!私が一番ヒドいよ、きっと!」
ってな感じのやりとり。
“勉強が足りていない”という不安を他の人に話すことで共感してもらって安心を得ようとしているのか、学生時代によく耳にしたことのある会話だと思います。
この会話で慰め合ってた3人の中で仮に1人だけ満点を取ったとしたら、残りの2人は
「やっぱり勉強してたじゃない!」
と若干裏切られたかのように一言口にして、まるで自分は“勉強をやらなかったから点が低くても仕方ない”というようなニュアンスでまた自分達を慰める。
これって努力したのに結果が出なかった時のことを恐れて逃げているだけだと思います。
A:「私全然わかんないや~」
B:「私も私も~」
A:「え!?Cちゃんはそんなのやってんの?がっついてるね~!それ何か意味あるの?私なんてわかんないから何もやってないや~!」
B:「私も私も~だってわかんないもんね!」
この会話だとCちゃんは“正しいのかわからない努力をしてるなんてまるでアホみたい”かのように言われていますが、何が正解なのかわからないなら、それこそ“何か”やってみるしかないんじゃないかと思います。
ただ「わからない」と言って同じような人と慰め合いながら、いつかわかるようになるのを待っていたって絶対に何も変わりません。
間違っていたら辞めて、違うことに取り組んでみて、悩んで、迷って…そうしている方がよっぽど“何か”わかるんじゃないかと思いますし、そう信じていきたいです。
人それぞれ色んな考え方、やり方があると思います。
だからもちろんどれが“正解”というものなんてないけれど、でも他人が自分で考えて選んで取り組んでいることを、軽蔑したり否定するのはとても失礼だと思うんです。
みんなと一緒じゃないと、みんなと同じじゃないといけないなんて、周りに守ってもらってる子どもの頃のこと。
誰も守ってくれない世界に一歩踏み出て、自分の考えや発言に責任を持ち、自分の意志で精一杯“何か”に取り組んでいくことが大人になるということなんじゃないかな?と思いました。
だからいつまでも自分に覚悟を持たず、他人を眺めては慰め合うようなことをしていては、きっとやりきれない大人で終わってしまう。
それでは悔いの残る人生になってしまうから、たとえ少しずつでも、勇気を出して、覚悟を決めて、素敵な大人を目指していきたいと思います。
面と向かえば
ガンバレガンバレ
と言ってくれるのに
5分後少し離れた場所で
ダメだバカだムリだ
と否定してくれてる
これが例え自分のことじゃないとしても
見てて(聞いてて)気持ちが萎えます
悲しくなります
人って信頼出来ないな、なんて思います
確かに及ばないところだらけで
バカだけど
ダメでムリだなんてなんでわかるんだ
理想通りに事は進まないし
どーにかしなくちゃいけないのだけれど
そうした状況を見ては
マイナスの言葉だけを吐き捨てられたり
わざわざ盛り下げられたりするのは
迷惑だなと思ってしまいます
当事者は客観的な見方よりも
主観的な見方で物事を見てしまうから
どうせ否定するならとことん
どこがどう悪いとハッキリ言って欲しい
ただの野次とか陰口なんて
誰の為にもならないし
それこそ物事をダメでムリにするんじゃないかと思います
だから
プロスポーツ選手とか芸能人とか
過程よりも常に結果を見られてる人達は
毎日のように上記のようなやりとりに
囲まれてるかと思うと
ホントにスゴいと思います
全てをまともに受けてたら
すぐに自分を見失って
後ろしか見れなくなって
「アイツはやっぱりダメだったか」
の一言で片付けられてしまうんだろな
厳しい世界だからこそだとは思いますが
まぁこんな風に考えていても
結局は結果を出してギャフンと言わせない限り覆せないとわかってます
この苛立ちは行動で示してカタチにするしかないんですよね
最終的に勝った奴が強いというか
ただ自分がそう感じているからこそ
勝ちに貢献出来る人間になりたいと思いました