娘が通っていた通信制高校には
いろいろな大学の推薦枠もあった
娘がここ行きたいという学部や学校があれば
今ならすぐに先生にお願いしようと言えるけれど
その時の偏屈母ちゃんは
「ちゃんと受験勉強をしなくてはいけない」
と思い込んでいたから
とにかく家で勉強する様に促していた
そしていよいよ受験となり
とりあえず第一志望のハイレベルの大学から
行けたらいいねという中程度の学校まで
学部もさまざまに8回受験した
それもほぼ毎日という過密スケジュールで
そして見事全部落ちた
どうしてあんな過酷な事をさせてしまったんだろうと今でも悲しくなる
娘は自分の意思で受けていると思っていたかもしれないが
絶対に私の強い思いが影響している
味わう必要のない挫折だったんじゃないかと思う
なのに当時はまだ
一浪して来年こそはと考える私がいた
二次試験まで受けたので
予備校探しはギリギリになり
ここにしようと決めた所に
4月から通うことになった
しかしである
結論から言うとその予備校には
3日しか行かなかった
と言うか行けなかった
夫には1週間と言ってあるが
実は娘は3日で力尽きたのだ
歯列矯正を始めたこともあり
歯や頭の痛みもあったが
娘はベッドから起き上がれなくなった
欠席の連絡をすること数日
私の頭の中に
不登校の始まりのシーンが蘇った
あの時と同じだ
そしてやっとわかった
私間違ってる
また娘を追い込んでるよ
もう辞めよう
充分がんばったんだよ
もう好きにさせてあげなきゃって
やっとそこに辿り着けた