何時もかみさんやお母さんの「最強話」ばかり書いているので、今日は私「御老公」の生い立ちの一部と、今は亡き母親のこれまた最強伝説をお送りします。


私が生まれたのは昭和38年の3月8日という「高度経済成長」と「東京オリンピック

を翌年に控えての、日本全国「行け行け」の時代に誕生したのでした。


しかし、一月近く早く産まれてしまった私は(その頃から待てない性格だったようで)

体重1800gにも満たない「未熟児」で、更に首に「へその緒」を巻いて出て来た為に

チアノーゼ」で泣き声も上げず。自宅での「産婆さん」による出産だった為に、

逆さまに足を持ち上げた産婆さんがお尻を「ぱんぱんっ」と叩くと、「おぎゃ~」ではなくて、六才上の兄貴曰く「ホゲッ」っと泣いたそうな。


そこでアクシデントが、何と産婆さん「へその緒」を切るための「ハサミ」を忘れてきたのです。普通ならば家に有るものを消毒してと思うでしょうが、そこはベテラン産婆さん。たじろぎもせずに「自分の手で」へその緒を引きちぎったそうです。


たじろぐその場の一同を尻目に「タクシー呼んで、保健所に保育器借りに行って来るからっ」と産着に包んだ私を母親に渡すと、一路保健所へ( ̄_ ̄ i)

今では考えられない事ですが、私はそうやってこの世に生を受けた訳です。


保育器に入ったものの母親の「おっぱいに」吸い付く力もなく、ガーゼに浸した「母乳」を交代で兄貴が飲ませてやったんだと今でも「恩を着せられ」ますが「そんな頃の事知らんちゅ~の(。・ε・。)」


小さい頃は身体も弱く、御飯も子供用のお茶碗に「半分」食べればよい方で、

好き嫌いしても良いから何でもこの子が食べたいものを食べさせなさい」と医者からも言われていたそうです。 ですからその頃は御飯の度に「食べろ~、食べろ~

と言われていました。


このままではいけないっ」と思った母親が、当時テレビでやっていた「柔道一直線

を私が喜んで観ていたのに閃き、「そうだ柔道を習いに行きなさい」と命令しました。


不安ながらも道場に通っていると、友達も増え、身体も健康になり、周りに煽られる様に「食欲」も増して、ばくばく食べる様に成りました。


そんな息子の変わりように母も婆ちゃんも大喜び。「どんどん食べて大きく成りなさい」と更に追い風を送ったのです。


そのままの生活を送っていると小4の頃には立派な「肥満児」になり、小六では

身長163cmの体重も60kオーバーの勿論一番後ろに座る席順の男子に(;^_^A


そのまま中学高校と進んで行くにつれ、高校の柔道部時代には98kまでに成りました。もちろん筋肉も有ったので、「マッチョだけど太っている」状態。


その頃から異変が起きたのです。あれほど「食べろ食べろ」と言っていた母から、

あんたいい加減に食べるの止めなさいっ」という指令が。「えっ、食べろって言ったじゃん?」と戸惑う私。

小さく産んで大きく育てるとは昔から言ったもんだけど、あんた大きくなりすぎっ。

誰がそこまで大きく成れと言ったの~(=`(∞)´=)」


そっそれは余りに身勝手と言うもんじゃないの~ママ~っ(。>0<。)」


今から思えば私の周りに「大人しい女の人」は今も昔も居なかったのでしたとさ。