皆様から御要望の多いかみさん最強伝説の続編を書こうと思います。
本人曰く、「私はいたって普通の事しかして居ないわ~」という世間から見れば
「それを皆が経験はして無いやろ~」というエピソードを私なりのチョイスでお送りします。
今回は、「果たしてうちのかみさんは幼少期をどのようにして過したか?」のお話。
かみさんの生まれは神戸灘区で、震災まではそこで過しました。
神戸という街は御存知の方も多いですが、「山と海」に挟まれており、都会の機能を
持ちながらも自然が一杯という素敵な街です。
神戸と聞いて皆さんが思い浮かべるのは「港町」「ハイカラな」「おしゃれ」ではないでしょうか?
でも、中心部の「三宮」から電車で僅か3つ目の駅の近所に住みながらも、おおよそ
そんな神戸のイメージとは「ほど遠い」生活を送っていました。
子供の頃は身体が弱く、細かったために心配した母親が「スイミングスクール」に通わせ、それに伴い身体は丈夫に、食欲旺盛な子供に成って行ったそうです。
休みの日の遊びといえば、家族で「六甲山」の麓に有る先祖のお墓へお参りがてら
山遊びが常でした。
当時今は仕事もリタイヤしてこれまた最強な「お義母さん」に毎日買い物に行かされている「お義父さん」も30代半ばの元気一杯で、かみさんや弟を連れては「山へ」
只そこで「お花を摘む」とか「山菜を採る」だけならば良くある「のどかな家族の肖像」
で済むのですが、そこは女の子で有りながらも「虫なんて怖いこと有るかいっ」の
かみさんの事。その日はお父さんに連れられて山へ「バッタ採りに」行ったそうです。
獣道もなんのそので山深く入って行くと、びっくりする様な「ショウリョウバッタ」が一杯
「わ~いわ~い」と籠に一杯捕まえたまでは良いのですが、「さあこれをどうする?」
絶対に言える事は、家に持ち帰っても最強なお母さんに「山へ返してきなさい」と
有無をも言わさぬ形相で怒られるのは「必定」そこで、如何したかといえば
「そうだ、ええ事思いついた」(だいたい今でもこう言った時にはろくなことが有りませんが )「おじいちゃんとこの庭に放してやろう、あそこならば木も一杯有るしね~」
当時同じ敷地内の隣に義父の父親が叔父や叔母と住んでいました。
「それが良い、それが良い」嫁のお義父さんも子供の様な部分が有り、後先も考えずに二人して「籠一杯」の手のひらサイズの巨大なバッタを庭に放しました。
当然のようにバッタ達は庭中の木々の中へ散っていきましたそうな。
これに味を占めたかみさんは翌日も友達と「山へバッタ採りに」
さすがに今度はおじいちゃんの庭ではまずいと思ったのか、「この採ったバッタどないする~?」と困る友達に「此処のお家は庭が広いから放してあげようよ~」と
見も知らぬ通りがかりの邸宅の庭に「巨大バッタの群れ」を放ちました。
数日が過ぎ、悲劇は先ずは隣に住むおじいちゃんの庭から始まりました。
当たり前といえば余りにも当たり前な話ですが、話されたバッタ達は「捕食行動」に
出る訳で、数日で庭の葉っぱは虫食いだらけに( ̄_ ̄ i)
「何でこんなところにこんな大きなバッタ共がおるんや~」と半狂乱で駆除に走る
叔父と叔母。「絶対に言ったらあかんで~」と念を押す父親。
大体の想像がついて呆れ顔の母親を尻目に「これはえらい事に成ったかも?そういえばあのお家はどうなったんだろう?」と一瞬は考えたものの、目の前の「オヤツ」
が出た時点でそれは「忘却のかなたへ」行ってしまったそうです。
「お前、最悪なことするなあ~」と呆れる私に向かって、「あれは私がやったんじゃない、お父さんがそうしろって言ったんやも~ん」
「じゃあ二件目の知らないお家の庭に放したのは何処のどいつじゃ~」
「そんなん、そこに庭があったからやんか~」
「お前は登山家か~~?」「そこに山が在ったからみたいに言うなよ~」
「同じ様なもんやがな~っ、え~~いうるさいっ」「ぎゃ~~っ」
今晩も世田谷に私の叫び声がこだまするのでしたY(>_<、)Y