昨日のブログにて思わず私が若い頃に「パンチパーマ」であった事をカミングアウト

する形に成りまして、何人かの方からコメントを戴いたので、「何故パンチパーマに成ったのか?」を書かせていただきます。


そもそも、大阪の調理師学校時代の私は、自分で言うのもなんですが、とても真面目で、一緒に行動するグループの面々もいたって真面目な仲間でした。


元々学生時代に「柔道」「スキー」で鍛えた?身体は大きく(当時で180cm90k位)

教室でも目立っていましたが、「この学校へは勉強をしに来たんだ」と自分に言い聞かせ、後ろの方に陣取るいわゆる「ヤンキー連中」とは一線を画して居ました。


勿論、就職試験の時には「七三分け」で三つ揃いのスーツと言う「絵に描いたような」

「真面目な男」をアピールしていました。


所が、いざ調理場に入ってみると、当時の流行か先輩たちのうち2割ほどが「パンチ」をあてていました。「これは、厳ついな~っ。俺には無理だね~」と思っていました。


そんな有る日、疲れきった休日の昼下がりの事「髪の毛を切りに行こう」と考え、

何時もの床屋へ。そこでのマスターとの会話と、偶然来ていた先輩との出会いが悪かったのです(。>0<。)


「毎日朝が大変だから、簡単な髪型にして下さい。でもスポーツ刈りは無しでね」

学生時代ずっとスポーツ刈りの私は、社会人に成ったら丸刈りはやめようと決めていました。

「だったら任せてくれる?」と言うマスターと隣で座っていた「先輩」の微笑みに気付くべきでした。

「お任せします」「了解~」居眠りから覚めた私の目の前には「鼠先輩が」「ぽっぽー

そうなんです。立派な3ミリパンチパーマが出来上がっていました。


「はいっ4500円ね」「え~~~っ」当時手取りで7万五千円の私にとっての四千五百円は、「君は今月は何処にも遊びに行ってはいけません」と言っているような物でした。

大笑いする先輩にお金を借りてそこからが私の「パンチ街道」まっしぐらの二年間の始まりです。


大きな図体で、パンチパーマとくればどう観ても「堅気」には見えないらしく、

当時は新宿歌舞伎町で飲みに行っても、一度として「呼び込み」に声を掛けられた事は有りませんでした。

おまけに常連だったパブの店員にはルールも知らないのに「雀プロ」と思われ、

新宿駅の大鏡に映ったその姿は、私が子供の頃に描いていた「遊び人」そのもの

新宿では呼び込みから「挨拶される」始末


これでは女の子にももてるわけはありません。(一部のマニアな人を除いては


金銭的に厳しいのと、まるでモーゼの「十戒」の様に人波が分かれる事がいやになり

一年かけて元のストレートヘアーに戻しました。


今でも当時を知る友達は「あの時は怖かったよね~。もう一遍観たいような気もするけどね~」

「二度と御免ですよ~だ」だってそのせいで成人式に行けなかったんだからねっ。


家の最強な嫁からは、「パンチにしたら離婚やからな」と言われ、「厳つく見えるから絶対にサングラスも禁止」と言われ続ける日々。

今まで一度でも私が「あ~パンチパーマにしたいな~」とか

言った事が有りましたかね~「奥様」(◎`ε´◎ )