私には6歳年上の兄貴が居ます。子供の頃は毎日泣かされてはそれでも週に一度の「プロレスごっこ」は欠かせませんでした。

その度に左の腕を「脱臼」しては病院に、しまいには呆れたお医者さんに腕のはめ方?を母親が習い家ではめていました。(@ ̄Д ̄@;)


小さい頃は兄が怖くて、でも構ってほしくて、泣いても泣いても掴み掛かり、おかげで

学校では怖いもの知らずに。だって、同級生や、少しくらい年上の子に殴られても痛くないのですから。今から考えると、良くぞ無事に生きてきたものです(‐^▽^‐)


そんな兄とも学校や、社会人に成ってからは一緒に暮らすことも無くなり私が26歳の時、当時神戸のレストランで働いている私に突然兄貴が訪ねて来ました。


「おふくろさんが癌で長くは無いらしい」と告げに。母一人に育てられた私達兄弟にとっては、要約少しずつでも「親孝行の真似事」が出来そうに成っていた矢先の出来事に、これからをどうするかを兄貴と一晩考えました。


結論として、私は会社を辞めてでも看病のために故郷へ帰る。当時浜松に転勤していた兄も会社に事情を話して戻してもらう。ということに。


それからきっちり3ヵ月後に母は旅立ちました。母の遺体にすがる私に一生懸命に

「お前は良くやった」とか「おふくろさんも満足している」と兄としての平静を繕おうと

している兄に、「馬鹿やろう、自分の親が診断だから兄貴も弟も有るかっお前も泣け」と叫ぶ私。 生まれてはじめて見る兄貴の涙。


それからというものは事有る毎には連絡を取り合い、お互いを心配し合い帰省したときにはカラオケをデュエットする仲の良い兄弟に成りました。


今では時々東京に遊びに来ては、おっさん二人でディズニーシーへ行ったり(-。-;)

うちのかみさんからも、兄弟で行ったほうが楽しいんじゃない?とからかわれてます。


段々とお互い歳を重ねるごとに、兄弟というよりは一人の男同士として付き合えるように成りましたが、今でも「昔はどれだけいじめられたか、泣かされたか」と言うと、

「やってる方は覚えてないんだよな~」と、とぼけまくってますが身体だけには気をつけて貰わないとね。   兄貴