ウクライナで戦争に巻き込まれて亡くなる子どもたちの映像を見ると…本当に悲しいし、恐ろしいし、何で?っていう気持ちが止まらない。
国境で父親に別れを告げる子どもたち。
爆撃されて燃え上がる家。
その映像を見て、これは何?どうしたの?ってハナに聞かれるたびに、説明してみるんだけど…
「ハナちゃんもパパとさよならする?」
「ハナちゃんの家も火事になる?」
って不安そうな顔をされたときに…
ここは大丈夫だよ。安全だよ。遠い国で起きてることだよ。
って言ってしまう。
こうやって平和ボケ国民ができあがっていくんだろうなと思うんだけど、まだすべてを分かりきらない子どもをむだに不安にさせることはできない。。。
だけどウクライナの子どもたちは、紛争が当たり前の中で生きてる子どもたちは、わけがわからなくても現実として受け入れざるを得ない。
もう、根底から違うんだよね。
価値観が違うとか、文化が違うとか言う前に、日常を生きていくハードルが違う。
ウクライナの成人男性出国禁止とか、軍事力が明らかに違うロシアに対して徹底抗戦する姿勢とか…
むだに人が死ぬだけじゃん。
成人男性にも逃げる自由を与えてあげれば?
勝ち目がないなら降伏するべきじゃ?
って思ってた。
戦時中の日本みたいに、本当は家族と逃げたいけど、お国のために!って残らざるを得ない人が大多数なんじゃ?って思ってた。
でもどうやら現地の考えは違うみたい。
自由は勝ち取るもの。
愛する家族のために。
ウクライナ国民であることへの誇りも、きっと日本国民のそれとは違うんだろうな。
ウクライナの友達も、ロシアの友達もいないから、本当のところは分からない。
こういうとき、英語ができて、世界に友人がいて、文化が違うってどういうことかを肌感覚で知っていたらなって思う。
同時に、ハナとケイには、それができる素地を与えてあげたいなって改めて。
20年後には、ほぼ100%自動翻訳の世界になってて、英語力は必要なくなるって言ってる人がいた。
たしかにそうなのかもしれないなーと思う一方で、自動翻訳を通して友達ができる?とも思う。
仕事上のオンラインミーティングなら、自動翻訳で充分機能するようになるのかも。
仕事はできるのに英語だけができないって人が世界で活躍できるようになるし、それはそれで素晴らしいことだと思う。
でも、自動翻訳機?を片手に、ワンテンポ遅れた対面コミュニケーションは想像できない。
ニュアンスとか、間のとり方とか、そういうの含めてのコミュニケーションだと思うし。
英語ができたら、きっと広い視野を持てる。
私みたいに頑固に凝り固まった価値観じゃなく、いろんな生の声に触れられる人生を生きてほしいなと🥺
そのためにも、英語を身近に感じられる環境を与えていきたいなと改めて思いました🥺
今日は主人が子どもたちを連れて出かけてくれてるので、仕事を終わらせないといけないのに、またこんなこと書いて時間を無駄にしております😓
あ、お雛様は片付けた👍笑
MITO♡