ムソルグスキー、第2段!
今日は「展覧会の絵」の第1曲、「プロムナード」と、
展覧会の絵が作られたきっかけとなった、ある画家についての紹介です
第一曲「プロムナード」(オーケストレーション版)
↑流しながら記事をご覧ください
この曲はムソルグスキー最大のヒットといえる作品!
ちなみに上のオーケストレーション編曲はラヴェルさんがしてます
イラストのみでのご出演です←
似てないのと、爆弾発言は気にしないでください(爆)
でも実はラヴェルさんが編曲しなかったら
この曲も世界的に有名にはならなかったんです!( ̄□ ̄;)
恐るべしラヴェル!
ムソルグスキーは、「ロシアの歌を後世に残すことが我々芸術家の役目だ」という考えを常に持ち、
革命によって虐げられた人々たちの視点の音楽を作ったりしていましたが
音楽は崇高であるべきという風潮から作品はなかなか評価されなくて(´□`)
「画家たちは民衆のために活動を続けている。しかし音楽家は何をしているのか!」
と怒っていたといいます。
その考えに同調したのが、後の親友となる画家の
ヴィクトール・ガルトマン(ヴィクトル・ハルトマン)(1834~1873)でした
ガルトマンを簡単に紹介すると
伝統的なロシアのモチーフを自作に取り入れた最初の美術家の一人@うぃき
とかいろいろめんどくさいので←
孤児となった後、有名な建築家のおじさんに引き取られましたが、
建築方面ではなく画家として有名になりました
(正直建築方面では「妄想」とかって酷評されてたみたいです( ̄Д ̄;;)
そして31歳というとんでもない若さでお亡くなりになりました( p_q)
ムソさん(←)と知り合ったのも遅く、たった3年しか付き合うことができなかったそうです
正直、ムソさんのアル中もガルトマンが亡くなった後にひどくなったみたいです
この展覧会の絵という作品は、
彼の遺作展へ行ったムソさんが霊感を受けて書いたらしいですね・・・
実際遺作展には400点以上の絵が飾られていたらしいですが、そこから10枚選び出したという話です。
しかし現在、その10枚の絵の半分は消失してしまっていますΣ(゚д゚;)
これからの記事では、授業でも流されたTV番組「革命に消えた絵画-追跡・ムソルグスキー『展覧会の絵』」で紹介された絵から全て引用するので、正直あんまり責任は持てません・・・←
1曲目の【プロムナード】は、そんなムソさんが展覧会の絵を鑑賞しながら歩いている様子を表しているらしいです
このプロムナードは全部で5回、絵と絵の間を埋めるように登場します。
5回目のプロムナードには、「死者の言葉による死者との対話」という
不可思議なタイトルがついているのですが
この曲については謎を残しつつ次に進めますw
ではではっ(θωθ)/~