『その人、人のなんたるかを知らず』
私はその手記を読んで、なんとも言えない孤独感に苛まれました。寂しい気持ちになりました。それでも、こんな人でも生きがいを持って生きていることに、心が温まるような気がしました。元気が出たような錯覚もあります。
とても人に言えないようなこともあるので、そのあたりは、わざと書かないでおきます。
僕は、おそらく人を本当の意味で信じることができないのだと思います。
ここに残すのは、僕を好き好んでくれた各々の方々に対して、僕は対してそんな男ではありませんと、謝罪の意味を込めた思いです。
初めて会った人はもとより、何回も会っている人であっても、僕はこの人はひょっとしたら悪い人かもしれないという心を持っています。僕の防衛本能的なものがそうさせてやまないのです。
あの日は会社の倫理教養のようなものがあって、幹部に就いているものは、全員出席するようにということで、社長からお触れ書きがあったものですから、僕も行かざるをえなくて、そのお坊さんの話を聞いたのです。
ふくよかな体をして、見慣れない袈裟の衣装の、頭の禿げ上がった方でした。今時の言葉で言うならば、僕はあの人のことを舐めていたのです。
「こんにちは。」と話し始めたお坊さんの声は優しく、遠くまで通る声でした。
「私は32代目の功参徳院住職の川木此喬(かわきこれたか)です。早速ですが、皆さんは会社のために仕事をしているとお思いではないでしょうか、あるいはお客様のために働いていると考えている人も多いかもしれません。
私は、そう思うことも大変結構なことだと思いますが、せっかくなので、そうではないことについても、少しお話しさせていただこうと思います。」
僕はこの優しそうなお坊さんですら、未だにひょっとすると悪い人なのかもしれないという感情を拭えないのでありました。
「なんのために働くのかという話をする前に、少し戻って、なんでこの仕事を始めたかというところに返ってみましょう。私の檀家さんの古い友人の方で藤村さんという方がいらっしゃるのですが、埼玉の消防署で署長をされている方で、その方とお話しする機会があったんです。私も興味があって、この方にどうして消防士になったのですか?と聞くと、その人は「姉の涙です」と答えました。その人は父親が仕事で忙しくて、家にいないことが多かったらしく、母と姉と藤村さんの三人でいることが多かったらしいです。藤村さんが中学三年生の時にお姉さんは高校生で、そこで家出をしてしばらく帰ってこなかったことがあったそうです。母は毎日のように泣いていましたが、私は何もすることができませんでしたと藤村さんも言っていました。ちょうどその頃のお姉さんの親友が舞さんという方で、お姉さんの反抗期も落ち着くと、家によく遊びに来ていたそうです。しばらくしてその舞さんにお子さんができました。長男、次男、長女と三人の子供に恵まれたそうです。その三人目が2歳になろうという時に、事件が起きました。あるいは事故と呼んだ方がいいのかもしれません。
冬の寒い日でした。舞さんは、買い物に行こうとしたのですが、お母さん一人で3人の子供を連れて、この寒い雪空の下を歩くのは、子供もかわいそうだし忍びないと思って、長男もしっかりしてきたし、子供たちを家に置いて買い物に出掛けたそうです。それこそ氷点下になろうとする寒い日だったので、電気ストーブをつけて、長男と次男に「絶対に触っちゃだめよ」と言い残して出掛けました。必要なものだけ買って帰る予定だったのですが、その日に限って、優しい気持ちが湧いて、良い子でお留守番しているんだからと、少し足を伸ばして、子供たちに今川焼きを買って帰ったそうです。ほんの1時間くらいのことだったそうです。
舞さんが、自宅マンションの近くにくると、どうも人が慌ただしくて、しかも焦げた臭いがする。近づけば近づくほど、それは濃くなっていって、やがて消防車と救急車が何台も、ぐるぐると赤いランプを回している光景が目に入ったそうです。
舞さんの1番考えたくなかった、苦しい予感が、今まさに直面してきて、目の前を真っ白にしました。
助かったのは2歳の女の子だけでした。長男と次男は火が燃える中、触っちゃだめよというお母さんの言いつけを守って、ただどうしていいかわからなくなってしまったんだろうということでした。
それを知った藤村さんのお姉さんは、その子たちとよく遊んでいたこともあって、ずっと伏せっていたそうです。ただ、一番辛いのは舞さんの方だからと、泣かないように、泣かないようにとしていたそうです。
その二人のお子さんのお葬式の日に、藤村さんのお姉さんが、生き残った女の子を抱きしめて言ったそうです。「よかったね、本当によかったね。お兄ちゃんたちのぶんも頑張るんだよ、生きるんだよ。私も頑張るからね。」と。
「そのとき、火事があってから、初めて姉の涙を見ました」
藤村さんは、その涙を見て、言葉を聞いて、1人でも多くの命を救える人になりたい、そんな仕事に就きたいと考えたそうです。
藤村さんの経験というのは、ある意味特別な経験だったのかもしれませんが、皆さんにも何かしらの経験というものがあって、やるからにはこんなことをしたい、あんなことをしてみたいと思いを馳せたのではないでしょうか?
私には、その気持ちが、実は一番大事なエネルギーのような気持ちがします。
なんのために働くのか、それは自分のためなのだと思います。
ここまで話を聞いてくださっていた皆さんならお分かりだと思いますが、自分のためというのは、わがままとか自己中心的とかっていう意味ではなくて、自分がなりたいと、なろうと思った、やりたいと思ったことを貫く信念や希望です。」
僕はこの人が何を言いたいのか、ぼんやりとしか分かりませんでした。良いことを言っているのだろうとは思えど、そこから導き出される答えは僕には信念だとか希望だとか、そんな熱い感情はないな、ということでした。
僕の人を疑うことしかできない悪癖は、イコール人の話を真面目に受け止められないということで、お坊さんの話も、半分こという感じでした。