ミュージックヘヤーで「ゆず」の20周年
記念放送をみた。
私のあの時の一番の心情だった
「栄光への架け橋」
誰にも見せない泪(ナミダ)があった
人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった
けれど確かに歩んで来た道だ
あの時想い描いた夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中
いくつもの日々を越えて 辿り着いた
今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
悔しくて眠れなかった夜があった
恐くて震えていた夜があった
もう駄目だと全てが嫌になって
逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの
支えの中で歩いて来た
悲しみや苦しみの先に
それぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
希望に満ちた空へ…
誰にも見せない泪があった
人知れず流した泪があった
いくつもの日々を越えて
辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
終わらないその旅へと
君の心へ続く架橋へと…
この歌を聞くたびに修論を提出して、
神崎川の河川敷を涙、涙を流しながら
聴いて自宅に戻ったときを。
なかなか修論が書けずに思い悩んだ
日々。片方では病状が徐々に進行して
行くのを感じながらも、絶対に書き上げる
と思う気持ちと、書けないのではと不安に
かられ止めようと思ったことも数えきれ
ないほどあった。自分の知識のなさに
情けなくなり「私はこの大学院の中の
学生で一番の馬鹿」だと思い、自習室が
ある研究所には恐れ多くて足を
運べなかった。3年目にやっとその研究所
に入ってみたら、確かに静かに学生が
本と格闘しながら勉強していた。
やっぱりここは賢い人の集団の場だと
思いながらも、居心地は悪くない。
それからは授業前後に通い、my机も
ゲットして時間潰し、雑談、時に勉強。
三年目の夏にはとうとう入院になり
治療を開始したけど数々の副作用に
苦しみながら70日間の入院生活だった。
修論が書けない、書けない、どうしたら
いいの?焦った。退院後も副作用の激しい
頭痛で参考文献や本が読めずに万事休す。
でも絶対に完成しないと思い、気力だけで
書き上げた。いま思うとあの時は神様が
降りてきて私を見守ってくれたのかも
しれない。最後にゼミの教授からオッケー
を貰ったときは「やれやれ」ホッとした。
すごい長い3年間だったけど、これを
書くには必要な年月だったんだと思った。
その涙、悔しさ、がんばりが詰まった
修論提出の時は体が震えた。
そして車を運転しながら聴いた
「栄光への架け橋」
一生忘れない‼
月曜日から次なる挑戦で皮下注の24時間
持続の治療が始まる。とても痛いらしい。
痛さに負けて殆どの人がやめるそうだ。
私にはこの皮下注しか治療方は残って
いない。予定は明日午後1時半から。
のんびりと過ごせるのは今日だけ。
何をしようかなぁと思うけど入院して
いては何に出来ない。
一日中ベッドの上(笑)
いつものようにテレビ、DVDを見て、
お隣さんと少しお話しして終わりだね。
明日からは根性を入れ換えて
頑張ろう‼
そして痛みを乗り越えたときにまた
聞こう「栄光への架け橋」
(歌詞はお借りしました)
記念放送をみた。
私のあの時の一番の心情だった
「栄光への架け橋」
誰にも見せない泪(ナミダ)があった
人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった
けれど確かに歩んで来た道だ
あの時想い描いた夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中
いくつもの日々を越えて 辿り着いた
今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
悔しくて眠れなかった夜があった
恐くて震えていた夜があった
もう駄目だと全てが嫌になって
逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの
支えの中で歩いて来た
悲しみや苦しみの先に
それぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
希望に満ちた空へ…
誰にも見せない泪があった
人知れず流した泪があった
いくつもの日々を越えて
辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
終わらないその旅へと
君の心へ続く架橋へと…
この歌を聞くたびに修論を提出して、
神崎川の河川敷を涙、涙を流しながら
聴いて自宅に戻ったときを。
なかなか修論が書けずに思い悩んだ
日々。片方では病状が徐々に進行して
行くのを感じながらも、絶対に書き上げる
と思う気持ちと、書けないのではと不安に
かられ止めようと思ったことも数えきれ
ないほどあった。自分の知識のなさに
情けなくなり「私はこの大学院の中の
学生で一番の馬鹿」だと思い、自習室が
ある研究所には恐れ多くて足を
運べなかった。3年目にやっとその研究所
に入ってみたら、確かに静かに学生が
本と格闘しながら勉強していた。
やっぱりここは賢い人の集団の場だと
思いながらも、居心地は悪くない。
それからは授業前後に通い、my机も
ゲットして時間潰し、雑談、時に勉強。
三年目の夏にはとうとう入院になり
治療を開始したけど数々の副作用に
苦しみながら70日間の入院生活だった。
修論が書けない、書けない、どうしたら
いいの?焦った。退院後も副作用の激しい
頭痛で参考文献や本が読めずに万事休す。
でも絶対に完成しないと思い、気力だけで
書き上げた。いま思うとあの時は神様が
降りてきて私を見守ってくれたのかも
しれない。最後にゼミの教授からオッケー
を貰ったときは「やれやれ」ホッとした。
すごい長い3年間だったけど、これを
書くには必要な年月だったんだと思った。
その涙、悔しさ、がんばりが詰まった
修論提出の時は体が震えた。
そして車を運転しながら聴いた
「栄光への架け橋」
一生忘れない‼
月曜日から次なる挑戦で皮下注の24時間
持続の治療が始まる。とても痛いらしい。
痛さに負けて殆どの人がやめるそうだ。
私にはこの皮下注しか治療方は残って
いない。予定は明日午後1時半から。
のんびりと過ごせるのは今日だけ。
何をしようかなぁと思うけど入院して
いては何に出来ない。
一日中ベッドの上(笑)
いつものようにテレビ、DVDを見て、
お隣さんと少しお話しして終わりだね。
明日からは根性を入れ換えて
頑張ろう‼
そして痛みを乗り越えたときにまた
聞こう「栄光への架け橋」

(歌詞はお借りしました)