お土産もたんまり買ったことだし、最大のメイン
である倉吉市の講演会場に向かう。
鳥取市と倉吉市は直ぐ近くと思っていたけど、
車で1時間ほどかかった。途中、日本海の
海岸沿いではサーフィンを楽しんでいる人たちが
いた。ずぶの素人でわからないけど良い波がきていた。
12時待ち合わせの「倉吉交流プラザ」に予定通り到着。
放送大学学習センターの所長さんとお昼を一緒にした。
鯵の南蛮漬け、お刺身が大変に美味しかった。
ここでも周囲を巻き込んで姉が楽しそうに話す。
所長さんも昔話したりして私達に会話を合わせてくれる。
和やかな昼食風景でした。
その後、私と所長さんは打ち合わせで講演会場をみる。
会場は大きな字で舞台の上のほうに演題と私の名前が
書かれてあった。それを見て事の重大さを改めて認識。
ドキドキ感が襲う。その後控室に行き最後の打ち合わせを
した。鳥取のお友達はすでに到着していて、昨夜の
盛り上がりを話していると、島根県からやってきた友達と
合流した。私の顔を見ると泣き出してしまい「泣くな!」
と愛情、冗談をこめて言った。島根県の彼女は、お母さんを
私と同じ病気で亡くしている。拳固そうな私をみて9年前に
「絶対に生きるからね」と約束したこと守ってくれて
ありがとうと言う。
そんなこんなしていたら午後1時15分。結局は原稿の
下読みも出来ずに講演会場に入った。
さぁこれから大変だ!
会場に入ると100人ほどのかたがいらした。
主催者は50名ぐらい集まれば上出来と思っていたようで、
喜んでいただいた。
さぁ私の闘いが始まります。舞台に立つときはいつも
緊張感で胸が張り裂けそうになる。でも立ったからには
責任を果たさなければと思う。
自己紹介をして次は「つかみ」ですわ。これどうしようと
思ったけど、「昨夜は七夕でした。鳥取砂丘から
おり姫様、ひこ星様に会いたかったのですが残念でした」
というと会場のお客さん少し笑いが起こった。
やれやれ。次に鳥取温泉ネタで「鳥取温泉は日本一と
ゼミの先生が言ってました」というと嬉しそうな顔をされた。
あとは砂マンダラからパワーをもらったので、そのパワーを
今日の講演に活かして頑張りますと言った。
これで会場の雰囲気は和らいだ。さぁこれから本題です。
原稿をちら見して、できるだけお客さんの顔を見ながら
話したいのだけど、原稿を見る時間が多かった。
ど真ん中に座った鳥取、島根の友人は常に泣いていた。
すすり泣く声がこちらにも聞こえる。
お客さんもハンカチで涙をぬぐっていた。
私が大学院の修士論文を出した時の心境として、
今回初の試みとして、ゆずの「栄光への架け橋」を
流してもらった。これが演出効果としてドンピッシャだった。
誰もが私の思いを受け止めてくれた気がした。
最後にテレビ放送された映像を見ていただき、
最後の閉めで「何がっても絶対にあきらめないで
生き抜いてください」というメッセージを伝えて終了した。
大拍手もいただきやれやれと思う気持ちと高揚感が
あふれた。相生態がマヒしているので声が出づらくて
お客さんは効き辛かったと思うが、終演後は
多くの方が私のところに来てくれて声をかけてくれた。
有難いですね。
最近は時間の調整もできるようになり、予定通り3時に終了。
終わったよ~!成功だったと思うよ。
鳥取の皆様!ありがとうございました。