明治の初期に、長崎県五島市に開設された
奥浦慈恵院は、日本で初の養護育児施設である。
江戸時代から明治期にかけての島民は貧困生活が
続き、生活を守るために生まれたばかりの赤ちゃんを
山などに捨てていた。その赤ちゃんを拾い、カトリック
信者の若い娘達と、フランスの神父が小部屋を設置して
保育を始めるようになった。それがやがては奥浦慈恵院
という養護施設になり、現在も存在する。
以前は困窮生活のため子ども達を生かすために、現在は
育児放棄、虐待児などの養護介護を行っている。
明治期から昭和にかけて、奥浦慈恵院で働く若き娘達は
報酬もなく、ただ一途に子どもを育てるために農業、行商
精米所などで働き、経費を捻出していた。
これを支えたのは信仰心から生まれる共同体での
信頼関係である。それが今でも継続されているとは本当に
尊敬に値する。
昨今、タイガーマスクあるいは色々の名前でプレゼントが
養護施設に送られているけど、確かに日本は捨てたものでは
ないと思う。お蔭で養護施設が注目されるようにもなった。
でも明治初期から、130年にわたって続く奥浦慈恵院で行われいる
この活動は報道されることもなく、知る人は少ないだろう。
私はこの存在を3年ほど前に義叔母から聞いた。そして
私の母の叔母さんがそこで努めていたことも知った。
そんな人が先祖に存在していたなんて名誉なことであり、
大尊敬する。
ここ暫らく、私はレポートで「奥浦慈恵院」を取り上げ
書き続けていた。それが今完成した。これが書けたのも
母の叔母さんのお蔭。ありがたい先祖を持ってまた一つ
レポートが仕上がった。 合掌