今日は年に2回行われる町内清掃の日だった。昨夜眠れずに朝の4時ごろに睡眠薬を飲んだので、8時から行われる溝掃除に間に合うように起きるのは辛かった。外に出るともう終わりに近い状態。我が家の前の溝掃除をご近所さんがやってくれていた。この掃除を始めて15年ほどになるが、近所の人と一緒に同じ作業をワイワイガヤガヤ言いながらすることは、地域の仲間意識が高まる。若いときはこのことが、わずらわしく思えることもあったが、年齢とともに、コミュニケーションの必要性を感じるようになった。「20年後に、溝掃除できるかなぁ?」もう死んでるわ」「いや生きてるで~」等など他愛もない会話をしながら。年2回なので最近はドロもそんなに溜まってなく短時間で終わるこの作業だが、この恒例作業はずーと続けて欲しいと思う。昼間本棚のスミから、16年前の日記が出てきた。私が強度のストレスで失語症になった時に、想いを綴ったものだ。読みかえしてみると、心の闇が文章を書くことによって、癒されていったのがわかる。亡くなったばかりの尾崎豊君の曲を聴きながら、どうすることもできない現状に悩み苦しんだ日々。尾崎豊君が私の代弁者だった。何故かしら夕方になると、毎日毛布を被り涙にくれた。今考えてみると留め止めもなく流れるあの涙で浄化されたのかもしれない。もし尾崎教があるとしたならば、私は間違いなく幹部信者の一人だと思う。彼に対する思いは今も変わらない。



君を探しに訪れた街

  優しく静かに 私を招いてくれた。

君が語ってくれたように

  空はまっすぐに 高くそびえていた。

高層ビルを 見上げると

  君が ほほえんで見えた。

ゴッホの絵の前で 君の歌が聞こえた。

  鳥肌と涙で動けなかった。

夕闇にせまる窓から グリーンに染まった

          武道館が見えた。

君が憧れたステージだ。

   自由に狂ったように そして優しく

           歌って欲しかった。

君は やっぱり 大バカだよ!

     でも 大好きだよ

いつもそばにいてくれて ありがとう

                 1993年5月25日(東京にて)