昭和56年19歳の春に就職で東京銀座にある三笠会館に行った。
戦後、焼け野の東京で歌舞伎座の向かいで唐揚げをメインの洋食屋を開店していた。
銀ぶらして唐揚げ食べてのスタイルがずいぶん流行ったようだ。
天皇の料理番で有名な秋山徳蔵氏が三笠会館の総料理長・佐藤松竹さんのローストビーフを食べに来た話は伝説的だ。
ちょうど晴山の入社の一番最初の仕事が出張パーティーのヘルプで、松竹さんの社葬だった。
新潟ではテレビ放映されてないが東京地区では三笠会館の佐藤松竹さんが電波に乗っていて有名だったそうだ。
私は最初の二ヶ月は中華料理に配属されたが、一か月目に宴会場にヘルプで出された、宴会場が終わると中華料理に
帰ってシフトに入ったものだ。
そのうち「寄らなくよいぞ」と辞令を渡された。
宴会場ではバイキングが主でほかに結婚式、法事、テーブルマナーなどをやっていた。
思い出深いパーティーをいくつかあげたい。 日本ハムの祝勝会、法大バスケ部の祝勝会は新潟商業高校のエース平松が在籍していた。その彼を発見!
ボジョレーヌーボーは芸能人いっぱいだった!、岡江久美子さん発見。
出張パーティーで東映の映画完成式で夏目雅子を発見した、スゴい可愛い方でオーラが綺麗、人類1か?的な(笑)。
あとはワインの試飲会だ、有名なソムリエが集まりテイスティングする場を受け持ち緊張した。
でね、スゴい高いワインの試飲なんだがちょっとだけ残してくれる、暗に私たち若手に味見して覚えろということ。
かっこイイ!、今私たちはどんなだろうか?
そんな日々の中で身銭を切って若手は高級レストランに行き体験してくるのがこの会社の風習であった。
私も近所の銀座四丁目、城シェフのレカンに憧れていた。
一度ランチに向かったがいちげんさんお断りである。さすが(笑)!
そこで宴会受付のお姉様に何気なく話したら「いいわよ、連れて行ってあげるわ」と元社長婦人の方から言われた。
きらびやかなレストラン「レカン」ランチ、光が眩しくてスゴい。味は忘れたがあのきらびやかさは忘れられない。
そのご婦人に誘って頂き色々と勉強させて頂いた。
新潟市に帰って来てからもレスカールやホテルランチや地中海レストランに勉強に行ったものである。
やはり勉強は一生ものだ。