高校一年の冬、まさに初めての迫力を体験した!、全日本プロレスオーブンタッグ選手権である。
昭和39年の秋に3歳で中原から横浜市緑区東本郷に引っ越した。
中原はアパート一室で共同炊事場と共同トイレ、風呂は近くの銭湯であり、テレビも数件に一台の普及で我が家に
白黒テレビがあった、だから夜の時間帯になると何人ものギャラリーが集まって来たのを薄っら覚えている。
なぜか力道山や豊登の勇姿が目に焼き付いている。たぶん大人にチャンネル権があったに違いない(笑)!
オヤジが仕事で帰って来る頃には、遠慮ない近所のおばちゃんおじちゃん子ども達がテレビの前に集合し、なかなか
帰らないのが悩みの種だったようだ。
私が川崎のスモッグに
やられ病弱ということもあり、思いきって横浜の里山に引っ越した。
空気の良いところで私の健康も徐々に回復していく。
オヤジもおふくろさんも自分達の安心できるフィールドが出来て一安心。
近所の秋山さんも良いご夫婦でありとても過ごし易い環境だった。
私が物心ついた時にはそこにテレビがあった。そして四歳の誕生日の前日のあの伝説が生まれた!、それは昭和40年7月8日夜7時、
それは突然の登場だった!、ピカリと閃光がはしる!、ズジャーン、ジャンジャンジャンジャン !!
銀色の巨人・ウルトラマンの登場は革命だった! 、一気に子ども達(たぶん男子のみだが(笑))の心を鷲掴みにされた!
四歳だから分別が付かない、一気に雪崩れこんで我人生をテレビっ子に決定付けた瞬間である。
そこからはアニメ、ヒーローもの侵攻は凄く、浸かりっぱなし(笑)、勉強よりテレビが命でしょ!状態だ。
それでも野球への興味はまだ早くON 砲を擁した巨人軍がV9が始まった年であり、「巨人、大鵬、卵焼き」時代である。
鉄腕アトム、スーパージェッター、パピイ、魔法使いサリー、ひみつのアッコちゃんetc.
ただ、ウルトラQは大人過ぎて怖かった(笑)。
プロレスは単純で面白い、ジャイアント馬場とアントニオ猪木を擁し大木金太郎、坂口征二、グレート小鹿が
活躍する日本プロレスが全盛期であり、対抗するように世界のプロレスが放映されブルーノサンマルチノや
日本でも馴染みなボボブラジルが活躍していた。
そして、若手中心の国際プロレスが旗揚げしTBSで放映されストロング小林、グレート草津…、
新潟出身のサンダー杉山の雷電ドロップに笑い、助っ人のビルロビンソンの男前に痺れたものだ。
ちなみに新潟市は地方局で民放はBSNが一局で各キー局からテレビを買っていた時代でウルトラマンは2年遅れでの放映だった。
それに続くキャプテンウルトラ、ウルトラセブンで実は帰ってきたウルトラマンとは間隔少ない。
東京では3年近くあり途中ウルトラファイトなどでお茶濁しがありウルトラマン第2弾が待望され帰りマンが
出来たが、新潟はあまりブランクなく放映させる。
私が新潟市に引っ越した昭和46年にキー局制に移行しBSN はTBS傘下となる。
当時はUHF をコンバーターで周波数を変えたNSTが1局あり、いろんな番組を放映していた。
間もなくTeny等が追随し、全国同時放映時代へと移っていく。
新潟市ではTBS系列で化け物番組「水戸黄門」が月曜8時から放映されていた、裏番組にアントニオ猪木の
新日本プロレスだったがチャンネル権が親にあり、CMの時にチャンネルを変えた覚えがある。
全日本プロレスは日曜夕方の放映で楽々見れた。
ジャイアント馬場、ザ・デストロイヤー、新人のジャンボ鶴田が颯爽としていて新時代を感じさせた。
一家に一台のテレビから各自のテレビ時代への移行期とともに。
さて、本題である。高校一年の時に同級生の通称げっちょと、小遣いをはたいてプロレスの最前列に陣取った(笑)、
だが、回りはスーツを着こんだ紳士や連れのレディばかりで場違い感半端無い(笑)!、二人で良かった。
その2年前のオープン選手権は空前絶後のメンバーの結集したが、それに匹敵するメンバーが集まったから必死である。
なんせ、あのビルロビンソンにファンクス、ラッシャー木村に草津が来るから(笑)!
そのロビンソン組がファンクスと対戦、木村・草津組がなんとブッチャー・シーク組とメインイベントを張った。
あの天龍がデビューの年で共に凱旋帰国のロッキー羽田と組み高千穂明久のちのグレートカブキ&国際の新鋭
マイティ井上とのタッグをフルタイムで頑張った。
鶴田はサムソン轡田と組み大木・キムドクの韓国組と対戦し負けた。
馬場さんはシングルマッチでテキサスレッドなる覆面レスラーにフォール勝ち、レッドの正体はレッドバスチェンで
ザデストロイヤーの義兄であり、二人でタッグを組みオープン戦に参加していた。
よくも覚えているものだと感心するだ(笑)!、そしてメインイベントの木村草津対ブッチャーシーク戦で流血した
ブッチャーの血をハンカチで拭い、学校に持参したらいきなりヒーローである(笑)!
以降は、仲間もみな観戦に行くが大概は立ち見であり、選手の入場の邪魔をし、テレビに映ればヒーローである。
大人になり、場外乱闘に巻きこまれ自分の椅子がなくなるからと二階席でビールを飲みながら悠々と観戦した。
全日本、新日本、FMW大仁田に全日本女子プロレスにも行った。
35歳から10年ちょっと観戦がなく久しぶりに行ったのは、かみさんを連れての万代シティ屋上での戦いだ。
雨降りの中、大谷と大仁田の登場なら場外乱闘だ。 初めての観戦が場外乱闘のかみさんは気の毒か?はたまた(笑) ?
(かみさんはアントニオ猪木、藤波、や長州力をみて育っていたのだ。なんと免疫があるではないか。)
そこでプロレスの面白さを再確認し、東京までオカダ君、内藤君見たさで遠征した。 良い思い出である。
最もその遠征は国技館で二人してインフルエンザをもらい、晴山は群発頭痛をおしての旅となる。
いきなりステーキという面白い形態を味わい、2年後にはイオン南で再会であった(笑)