志した道②
整体屋を目指した頃のお話を前回したが、なんで整体屋だったのか?
知りたい?(笑)、いや、喋りたーい(笑)。
そもそも…
昭和36年7月に川崎市新城で生を受けたんだけど、母体に居る時に母親が胃潰瘍でろくに栄養も取れずの出産だったらしい。
生後一月が経つ頃、昔は良い髪が生えるようにと剃髪の習慣があり、近所のおばあちゃんにしてもらい銭湯の一番風呂に入ったらしい。
そしたら抵抗力が弱く、頭が膿んでしまい「この子は小さくて手術も無理だから…」と医者が匙を投げた。
数週間のおふくろ様の懸命な看病、ある日疲れ果てて、誤って私を落としたそうだ。
そしたら頭皮がもうぶよぶよだったので、それが破れ、そこから膿みが吹き出し、九死に一生を得たとの話である。
その後、月に2-3度、高熱で入院を繰り返す、また、生えた乳歯が3ヶ月でぼろぼろになっていった。
見かねた父親が横浜市の山里に意を決してマイホームを建て、空気の良いところで元気を取り戻す。(父親にとって通勤がギリギリの遠さ)
虫歯でガタガタになった乳歯での食事は困難で、母親が噛み砕いたもらい、それを食べていた記憶がある。
永久歯の生え変わりの頃、虫歯の乳歯の根が邪魔になり、アントニオ猪木のような受け口=顎関節症になり、またまた、長い治療生活となり、18歳で手術した。
が、口の周囲が痺れ、後遺症が残る、プラスして急に肩凝りを覚え、間もなく激しい腰痛を抱えて社会人への旅立ちとなる。
それから6年ほど過ぎた頃、腰痛も出たり引っ込んだりの繰り返しで、暗い日々を送っていた。
整形外科でコルセットを作り、牽引をしてもまったく効果がない。
そんな折に、なんとなく入った本屋で骨盤整体で腰痛解消の本に出会う。
貪るように読んだ、ただ治療所が東京の五反田と書いてあり、当時は既に父母のふるさと新潟に越していたので断念しなければならなかった。
だが、その中でカイロプラクティックと言う文字が印象強く飛び込んで来た!、何だろう⁉️
電話帳を開き、それらしき文字を探す。「あった❗」当時、新潟市に2件存在した、住んでる近くにあったのだった。ラッキー♪
即、受話器を取り予約を入れた。
かなり混んでる様子だ。当日、恐る恐る伺うと、顔色の悪いぶっきらぼうのお父さんが白衣を着て施術してくれた。
3回ほど通うと、ずいぶん腰痛は薄らいでいた、結局6回ほど行ったが転職が重なり、しばらく研修で県外に行く事になりそれっきりだった。が、以来あんな痛みは出ていない。今でいうゴッドハンドだ。
その先生も元来、体が弱く、奥さんが東京に習いに行き旦那を元気にし、旦那さんも一念発起し、転職されたがあまりの忙しさに突然死されてしまったと噂で聞いた。
カイロプラクティックって凄いなあって印象。
しばらくして私は居酒屋に勤める、そこの店長がヘルニア持ちで、よくうずくまって痛みに耐える苦悶の表情が印象的だったが、大の医者嫌い。カイロプラクティックの話をしても保険の効かない得体の知れない治療法は嫌だと…一言。
切ない
カイロプラクティックと言う名前を知るが、まさか自分が治療家になるなど夢にも思わずだ。
運命のなんたるか?も、知らず、ただひたすらに、一生懸命生きていたあの頃…、大運天中殺を真っ只中に過ごしるとは露知らず…(天中殺は改めて解説します。)である。
そんなもがきの人生の中で独立して店を持ち、生年月日が同じ女性と結婚した。
未来は薔薇色、あとは一生懸命働くのみ!と思われたら人生に落とし穴があった。
結婚式をあげた途端に彼女の性格が一変する‼️
親との同居も解消、家族間で揉めに揉めて、店も手伝わないと宣言される。
「どうやったらいいんだ‼️」と怒りに任せ喧嘩ばかりの日々、挙げ句、一年もしないでストレス性潰瘍大腸炎で緊急入院、3週間の絶食と点滴の毎日。山盛りの読書タイムだけが幸せな時間をくれた(笑)。
そしてなんとか人生に諦めを付けた頃、病状も治まり、退院となる、
入院生活の中でも劇的な瞬間はやってくるものだ、病室で新聞広告の中にあった気になる書籍(これもこの後晴山の人生を変えることになる。)を発見する。
退院し、やっと動ける体で気になって本を買いに行く、誰も居ない実家に寄った時、ドドーンと目に入って来た一枚のチラシ!「骨盤整体師セミナー生徒募集」と、それをあのタイミングで見なければ、今はないと思う。
天の采配、時は神なり、神は縁である。その瞬間を体験することになる。
整体師、カイロプラクティックを習い顎関節症から腰痛に繋がった事も知った。
そんな晴山の、整体屋人生のはじまりの始め物語である。