ロールズは、「現実主義的ユートピア」を目指しました。ただし、こうも言っています。原爆投下について米国民が反省すべきだからと言って第2次世界大戦でのドイツと日本の責任は軽減されるわけではない、とも付記しています。往々にして原爆投下の非人間的な行動を引き合いに出して、日本のアジアに対する非人間的な行動、英米の捕虜に対する行動を正当化する論理も見受けられますが、これもきっぱり否定しています。

 

 ただし、私自身は、戦争を始めると勝つためにはどんなことでも正当化される、約束やルールは戦争遂行の制約にはならないと思います。今のガザの戦争は、イスラエルは目的のためなら手段を択ばず民間人、子どもを標的にしています。

 

 原爆を必要悪と考える人々と絶対悪と考える人々が、納得できる一致点は見いだせるのか。

例えば、内村鑑三のように、戦争絶対悪、非戦を貫くキリスト教の精神で唱えていくことしかできないのか。現に、ヒットラーやプーチン、北朝鮮、中国の覇権主義を絶対平和だけでよいのか、はなはだ疑問で現実を考えると抑止力の名の下に軍拡は進みます。

 

 ロールズはそこで、「重なり合う合意」という考え方を出しています。意見は対立して完全な合意は成立しなけれど、重なり合いの部分でなら合意できる状態のことです。

 広島市の秋葉市長(99年)の国際平和会議での講演で、核兵器反対のメッセージを世界に広げる方策として「たとえ戦争でも子供を殺すな」というスローガンを用いようと提案しました。

 誰もが、否と言えないスローガンです。これを守るとすれば、大量殺戮虐殺に伴うような戦争の進行には歯止めがかけられると、川本さんは言っています。

 

「大事なのは、正義と不正の区別を粘り強く考え続け、声を上げ続けることだと思います。‥原爆投下を批判する圧倒的な少数派として、声が大きい方が勝つという「現実」に人々が負け、議論することを諦めてしまうこと。ロールズはそうした流れに抗し、民主主義に命を吹き込んだと私は評価します。」と結んでいます。

 今の若い人と話していて、現実はこうだから仕方がない、と言います。現実は動かせない、絶対的なものと思って自分の考えを停止してしまう、諦めることが多くなるとどんな社会、世界になるか。

 私自身、退職して無職の爺さんですが、クモ膜下で生きながらえた命なので、ずっと関心をもって発信していきます。