スネークボールテクニシャン(大学生)のブログ
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大切なことは目に見えない

昔から「大切なことは目に見えない。」そう言われている。
だが、そうなると自分の周りにいる人たち、恋人、友人、家族。これら目に見える人たちはどうなのだろうか。


私が思うに、
友達等が自分を囲んでいることはさほど重要ではない。
重要なのは、その友人等が自分に大して持っている感情なのだ。
愛を持っていることが肝要なのだ。

自分の周りにいる人間がそういった気持ちを持っていることが重要なのである。

そのため、惰性やなんとなくで自分の周りにいる人間は現段階においては、自分にとってさほど重要な存在とはなりえない。



人を顔で選ぶ人って何を考えているだろう。

 人の価値観というものは千差万別、十人十色。だから、おまえはおかしいなどと批判するべきではないだろう。
だが、それでも少しおかしいのじゃないかしらと思わずにはいられないような考えの人というのはある程度の数存在しているように思う。
とはいうものの他人の価値観というものを正確に把握することなど出来るはずもないのだが・・・。

 さて、私は面食いの人の考えをいまいち理解することが出来ないのだ。美しい顔は確かに魅力的だが、それだけでその人の人間性なんて見えるはずはないのだ。顔が美しくとも腹の黒い人はいるし、その逆もいる。稀に両方を兼ねている人もいる。
 しかし、面食いというのはなかなかに馬鹿なものだね。顔の美しい人を見るとその人を神聖視でもしてしまうのだろうか。顔の美しい人は、心も美しいに違いないと考えてしまう。
 それはおろかなのかもしれないが、そういう人がいるから恋が起こるのだろうなとも思う。

 顔が美しいと言うことで信用の出来る人間かどうかを判断することはとうてい出来やしない。
顔の美しさで心は見えない。知性を感じることは出来ない。人柄を知りうることも出来ない。
 顔は記号に過ぎない。人を区別するための。ただ、それだけに過ぎない。だけれども、そうと思わない人がいる。私にとってその人たちの価値観は理解しがたい。

どうでもいいのだ

 最近、いろいろなことがどうでも良くなりつつある。しかし、それは決して無気力というわけではないのだ。以前よりも勉学に力を注いでいるし、文学だけでなく、経営学や情報系の本を読んだりもする。また、資格試験の勉強にも精を出している。
 自分の価値観に偏りが出てきたのだろうか。例えば、顔なんかどうでもいい。最近そう思うようになってきた。
 もちろん、美しい顔の人は、魅力的だが、それが決定打にはとうていなりはしない。
美しい人を見ても、「あら、ステキ」と思う程度なのだ。決して恋い焦がれたりしないし、しびれないし、あこがれもしない。
 また、テレビを観ているときにもどうでもいいとよく思う。私は社会科学系の学部に属しているため、経済などのニュースには関心がある。むしろ、積極的にそういった情報を入手していきたいとさえ思う。
だけれども、それ以外のこと。例えば、芸能。
最近では、そういったニュースが流れるとテレビにげんこつを食らわせたくなるほどはないものの、腹の底につまらないものを見せられたという怒りがつもってしまう。
 いつから私はこういった人間になってしまったのだろう。過去の私は決してこうではなかった。
そう思いつつテレビの電源をオフにする私なのであった。


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