心から頼ったら誰かの仕事が増えることなんて分かったから、自分がすり減るから心の底の悲しさも大変さもはぐらかして元気に過ごす。
それが脳への勘違いを起こしてくれるから。
少なくとも病院を変えてから本当に考え方が変わった。自ら死ぬことは諦めた。人間は図太いから、救われてさらに苦しむなら死ねることを待とうって。その時間がすごく長くて、家に私一人になって家庭と向き合うのは私だけ。お兄ちゃんは自立と捉えられて居なくなって、本当のことを知るのは妹である私だけ。みんなは結婚して居なくなったことをよく思うかもしれないけど私にとっては家庭の現実から逃れたあいつが許せない。これから先が見えているから現実が見えているから私はまだ休んでいたい。逃げていたい。死ぬことが許されない世の中だから勇気が覚悟が最後まで出来ないから私は生きてるだけなんだ。今の私がこの家から逃げたなら死ぬしか残ってない。だから向き合って残ってるんだ。
少しの間でも家から離れたなら、この家に残ってるただひとりの娘が居なくなったなら探すだろう、心配性でひたすらに神経質だから。
ただオシャレがしたい好きな私で居るだけでも警察に保護される度に周りに偏見を言われて傷つく私には心の底から理解してくれる人なんていないし、人から私は人間が好きじゃないの?って言われるくらいには人と話すのが好きだけど、人間を心の底から信用することなんて出来ない。
簡単に裏切る、人間だから自分にとって都合のいいことを信じるから。思考という名の感情が全て。心配をかけたくないのは昔から。それでもやっぱりやるせない気持ちが腕を傷つけた時もあったし、それがかまって欲しいと心配して欲しいと捉えられたことがほとんどで。
でもその結果が心が壊れてあの時だった。
また1周まわった。だからかな。小さい頃の自分に戻ったって思ったのは、また夢を見るようになったのは。奇異な目で見られたくない。
普通にはなりたくないし稀な人間でいい。
個性でいい。だってもう普通になることなんて出来ないから。人とは違うのはもう受け入れて私の当たり前はこれだから変えようだなんて思わない。でもただ自分がこの性格を生き方を認めているのに周りが邪魔をして否定をして壊して来るのが馬鹿馬鹿しくて他の人間もみんな嫌いになるんだ。この世の中に生きる価値もないのに何とかなると口ずさむ全員が嫌いだから。
それぞれの人生を歩んでいて皆自分の人生の主役だ。だからこそ時間は限られているって思う。
周りのろくでもない人を見る度になんでこんなに当たり前を普通を語れるんだって思う。
自分の価値観が思いが押し付けたくないのに、私の当たり前の思いが他人を見ているだけでなんで分からないんだろうって伝えれないからこそ苦しむ。この気持ちを心の奥にしまっているのに、些細な動きも表情も声のトーンも気にしているのに人からは無神経とか言わなくていいと言われる。みんなさりげなく無神経なことなんて言ってるのになぜ私ばかり言われるんだろう。
自分に嘘をつきたくなくて人によっては伝えて欲しいと言われることなのに人それぞれのくせに、人間難しすぎる。人から私は強いと言われる。それなのにメンタルは豆腐よりも弱い。
ボロボロで傷まるけなのに本当の気持ちを言ってるのに弱いと思われたくない気持ちも強すぎると思われるのも嫌で、そんな複雑な気持ちがずっとだ。なぜ私はメンタルが強いなんて言われるんだろう世の中は自由だ、権利だと言いながらも結局縛られて生きるしかないんだ。
この世の中の法律も都合が良くてたまに境目が分からなくなる。人の発言のチグハグさが、自身に甘い人達が、みんな客観視出来なくせに人が目につく癖に。言い訳ばっかりで残酷さも事実もいいようにねじ伏せられる人達がなぜ羨ましいんだろう。自分自身の性格も考え方も思われ方も思われ方について私が考えた事も。わかるからどうしたらいいのか考えるのに悩むのに周りと喋ると皆そうなの?ばっかりで周りが考えてない事に悲しくなるし見下しちゃう。
自分だってやりたい事をやるリスクとか不安で出来ないこともあるのに。それがわかるからそれも辛くて心の奥が泣きたいし逃げたい、いつも差別も平等も納得できなくて発言すると怒られて説明をしてもらえなくてねじ伏せられて、だから私は逃げたし居なくなったのにそれからもさらに制限をされて首を絞められていく。
納得出来ないことをなぜ納得できないと言ってはいけないのか、それすらも理解したくない。
死ねる薬があるのなら欲しい。
自身が研究してそれで死のうと思ってた。
でもそれは無理だと思った。ネズミを使った実験すらもネズミの感情とかを考えて自身がネズミだったら苦しいかもとか思って、基本的に死ねる薬を作るための材料が違法であったり、規制対象なのなんてわかる事だ。
それでも眠るように解放されるのなら解放されたい。だってこんなクソな世の中だから。
でも宗教とか、色んな考えの人がいて地獄とか天国とか色々説を考え始めると何も出来ない。それどころか恐ろしくて死ねない。
あの世が何を地獄とするか基準が曖昧だもん。
今の見る現実だって曖昧だから。
毎日毎日寝る時そのまま夢を見ず寝ていたいと思う。悪夢を見たくないと願う。明日起きた時も苦しまず死ねる機会がありますようにと思う。
幸せだと感じたものが壊れませんように続きますようにと思う。それでも地震や災害を想像した時苦しみを考えて怖いと感じるのはもはや生きたいということかもしれないけど、その生きるのもめんどくさくて怖い。結論はいつまで経っても出ない。どの道生きるのならこの生活も続けれないのはわかるのにその踏み出しが嫌だ。ずっとずっと寝てたいの。寝始めたら何十時間も寝てたことを時計を見て知るのはすっきりする反面このままじゃだめだって思うから惨めになる
普通になったと言われるのも嫌だしおかしいと言われるのも嫌だ。人生正解なんてないのに正解を提示する世の中ってなんなんだろう。
逃げて来たから心配だと言われるのも悔しい
この現実を1番よく分かってるのは私なのに私の身体になった訳でもない人間に心配だとか言われるのは苦痛だ。私に死ぬなと言うなら一生を助けてくれる?そんな一言で救えると思うなよって。生きて欲しいのは悲しみを感じたくないからのくせに。友達が私に言ったいつか消えちゃいそう。その言葉は否定も肯定もしない。
人は予測もしない予測も出来ない時簡単に消えるから、私はその運命を待っているし何よりも成人で死ねなかった時点で次の地点が年齢が待ってるのに。消えそうと言われることは苦しくもない。いつでも自死することがあるかもしれないと思って接してくれる方が皆傷つかないから。
いつだって覚悟決めてくれるならいい。
人は自分が死んだ後を想像した時こう思われたいと思った事が生きていきたい姿って言うけど、そんな問いの答えをよく考えてたら、ずっと中学の時から不思議だったって急だったってちゃんと悲しまれたいなって思う。不思議ちゃんって言葉はもうずっと前から聞いたから自覚もしてるしその言葉をポジティブにもネガティブにも使う。今のこの時間は無駄にならないかな。
人生経験値上がっていくかな。今この瞬間も。未来で恥ずかしいとか消したい記憶になるのかな。この性格でこの人生で出会えた関係を自身を否定したら終わりだけど、もう一度今この瞬間やり直せる時からやり直すなら沢山当時の選択を変えたい。この人生だから出会えた関係が終わっても、違う人生を歩んでみたい。出会えた人達に自身の記憶を使って会いたい。常に考えるこの問題の問いが心の答えかもしれないけど。やり直すことが無理だからこその悩みだ。過去なんて仕方がなかったこともある。
過去の自分を覚えている人が居る、私が覚えていて他の人が覚えてないことだって沢山ある。どこまで覚えてるのか皆違うから弱みとして握られたくなくて未来を壊されたくなくて欠点になりたくなくて先回りして誰でも知ってるように言うのは言い過ぎなのかな。皆そういうことはわざわざ過去は言わないと言うけど、予測に予測を重ねるのは悪いこと?自身の欠点を知ってたらつつかれるのはわかってるからこそ。傷つく未来は嫌だ。今もずっと過去の自分が重りになって縛られてるのに。どうしようかな。今の自分を未来の自分を。みんなの記憶を消して私の記憶だけ残るか、自分の記憶を消してみんなの記憶を残すなら、私はどっちを選ぶかな。今はまだ選べないや。世界のみんなの生き方も育ちも映像にして見てみたいな。どんな顔してどうやって成長して今なんだろ。この珍しい立場が前例がないだけに生き方が留まらない。前例を作ることは楽しそうなのに。前の自分を助けてくれた人達がいる事がいいことなのにその人たちにまだこんな思いがあるのに心配させたくなくて仕事を増やしたくなくて負荷になりたくなくて制度とか利益とか考えすぎてどこにぶつけるか無さすぎて寝るしかない。依存と思われるのも邪魔だと思われるのも嫌だし、安心させたい。
通院すらもおかしいからいってるとか不安だからいってるとか言われるのも周りに腹が立つ。
自分でひとりで色んなところに旅する意味で出かけるようになってきてても殻を破り始めてもそれでも私はバイトもせず昼夜逆転を繰り返して学校もちゃんと行かないから周りにいい反応をされないんだろうね。人の思われ方を気にしてばっかりでバカバカしい。自分の人生は自分のもので自分の価値も自分で決めるのに。こんな中途半端な感情も要らない。それなら人の心ないと言われるくらい気遣い出来ないか、極端が良かった。それの方が諦めがつくのに。人生も中途半端で性格も曖昧だ。私のこの見てる人生だけでも世界終わればいいのに。画面みたいに、自分だけが消えるんじゃなくて自分の画面が世界が死んでればいいのに。こんな考えて吐き出してずっと色んなことが頭にあるのにそりゃ頭もスッキリせず悪夢も見るよなーって。高熱で意識失えば夢見ないのに。それすらもなってくれない私の身体。なんという運の良さか。臓器あげれば安楽死できるならしたいなぁ。明日生きたい人がいるとか知らないもん。ならあげるし。
この価値の無い世の中で生きたいならあげる。
きっとこの世界をそこまで見てないから周りに恵まれてるから移植しても生きたいと思うんだろう。って私は思うから。苦しみなんてそれぞれだから明日生きたいなんて知らない。心の痛みと身体の痛みは違うかもしれないけど、みんな無い物ねだり。交換出来ればいいね。私は交換も何ももう要らないけど。一方的でもあげれる。でも移植できるという子宮はあげない。
意地悪でもこの世の中に子供を産むことすら地獄のこの世に産んでるようなもので人生の始まりだから。これすら言ったらダメな世の中つれぇな。人生始まったら人間尊厳やらルールで死ねないから。簡単には。だったらもう自分だけの臓器なら止めるしかないっしょ。権利だもん。
それ以外なら命失えるなら本当に後悔しないならこの過酷人生の身体の1部若い子にやるよ。
きっと中途半端が嫌いで諦めるなら諦めれるものがきっかけが欲しいだけ。まだ経験値が足りないんだ少しだけ。安全を捨てなければ手に入れることも出来ない。時間を捨ててきたから逃げれたの。それが安全との対価だった。でも今は安全とも思えなかったなぁ。当時の対価の考えはなんとも複雑なもの。今も対して変わらないか。健康と時間全てを捨てても逃げていたい。
この向き合ってきた複雑な世の中から。
結論が結果的にそこな時点で救いようないな。
そこまで思わせれる世の中物騒。やっぱり1周回るなぁ。おもしろい。
私には考えが日記にメモにつけるしかないの。
スマホなら各手間も打つだけだし手が汚れるようなシャーペンも要らないし漢字だって私は読めてもかけないから。今となっても過去は黒歴史だし恥ずかしいし消したいしやり直したい。私の過去がみんなにどう覚えられてるのか不安になる。でもみんなも覚えていないだけで他の人に恥ずかしく覚えられてるかもと思うと少し安心する。それと共に恥ずかしいってことは消したいってことは当時より成長したと思えるから。
昨日も1年前も今日も明日も。きっとニュースを見て世の中をみて歩き続けて考え続けて思うんだよな。見てきた世界によって当事者にならないと分からないことは分からない。私の命が終わる時まで色々なことを考え続けて、生きたい人もいるんだって綺麗事で押し付けられてそれならあげるよ。って言い続ける。将来の夢。
少なくとも夢は出来た。でもまだ叶う予定はない。これから先生きていたらやる気が出たなら
感情もほとんど要らないし感情で決めては行けない裁判官になりたい。何故そんなことをしたのか、その重さ。被害者への気持ち。色々なことを考えて判断する法律の仕事。でも私にはまだやらなきゃ行けないことが沢山。いつだっていい。夢は。でも若いうちが記憶が定着しやすいと言う言葉は本当だと思う。もうすぐ二十歳。
自分が生きてるこの世界がいつか自分が生きててよかったって思えるくらいの世の中になりますように。