自己受容
私は理想のパートナーを探していた。というのは、外の誰か、誰かからの承認、誰かに満たしてもらおうとして、誰の好意に甘えても徒労に終わってきた。満たされない気持ちを自分の内面に求めようと、とうとう視点を逆転させてみた。私はずっと長い間、ありのままの自分に不満であり、その不満を野心、承認欲求、に置き換えてきた自覚はあったが、私の心の傷は、実はそれだけではなかった。私の男性性だけではなく、女性性もまた、受け入れることが大切だったと気づく決心をした。今までは、母親に愛されたくて、嫌われることを恐れて(私には、母は私の中の半分にしか価値がないのではないか?と思い込んできた)、女性性の受容には激しい恐れを抱いていたのである。幼いころから母は、テレビを見ていても、少し女っぽい男性芸能人が出てくると、「気持ち悪い!」とディスっていたのを見て来たので、ああ、母はマイノリティー差別者だ…!と私は判断していた。母からの無条件の愛を求めながらも、自分のアイデンティティーをさらけ出すならそれを得られないという葛藤。世界全体との関係もそう。全体が一つに溶け合う皆が嬉しい楽しい安穏な状態を、自分の女性性開示により、わざわざ火に油を注ぐような…?そんな気もちを皆に申し訳ない、と胸に閉じ込めてきた。震える胸の鼓動を落ち着かせては、男性の医療スタッフの方や、患者の方に接してきたり。皆さんはどうだろう?もし、最愛の隣人が、私の本当の部分を開示しようものなら、否定するものとして、それを見せられる正直な自分になれるだろうか?本当の味方ならば、一笑に付すことはしないはずだと信じることにした。なんか、結構私、ガード堅くて、前世そうとう、性のことで迫害されてきたのかな?アニメのチ、みたいな中世ローマ教会のあの時代の、性的にリベラルで少数派の司祭だったとか!?あるいは戦前の日本の、猛々しさこそ正義、といった時代に生きた、性的マイノリティーの人間とか?でも、今やっと思うのは、結局は何であれ自分のありのままを受け入れて生きるほうが、マシであるということ。私は、あまりに周りに対してビクビクして、他人軸になりまくってしまった(笑)。高校の頃の教科担任の先生方の、様々な言葉にも、私の本当の個性を見抜いていらっしゃったのだなぁ、としみじみと感謝の念が沸き起こるじぶん。おそらく、関わってきたクラスメイトだって、声には出さなかっただけなの?と、だったら遠慮なしに自己表現できたらよかったのに。看護師さんたちは、すんなりお話を聞いて下さるので、話しやすくて安心。そのうち、家族にガチ公認で、分かち合いたいな。今回は、この辺で☆彡あるがまま、あるがままに☆彡☆彡