※えと、わたくし旅行大好きでありますね。海外はダメです。言葉が通じないというよりも、治安が悪いのと食文化の違い、風呂やトイレ問題などさまざまで、とても海外になど行く気がしません。それよりも、日本人に生まれたからには、やっぱり日本のことをもっといろいろ知りたいと思うわけですよ。そんなわたくし、2004年から2006年までの3年間、農林水産省の外郭団体であるJARUS(ジャルス:一般社団法人地域環境資源センター(旧:̪社団法人農業集落排水協会))に出向いたしまして、そらもう日本全国いたるところ、北は青森から南は鹿児島まで出張しまくりましてね。一泊出張で、初日は地元の方から接待を受けるという生活をしておりまして、特に最終年の2006年は、なんか2週間に1回は飛行機に乗っている、なんてことになっとりました。おかげで実はわたくし現在、47都道府県のうち行ったことないのが、宮城県、鳥取県、宮崎県のみ、ということになっております。ということで、さまざま行ったところの旅行記をブログにアップしていた時期もあったわけであります。そうした記事も、せっかくなので備忘録として今後アップしていきたいと思うわけですが、その第一弾といたしまして、徳島から香川、岡山と行った家族旅行を再投稿したいと思うわけです。なんか前置きが長くて、改行もなく申し訳ないですが、ご興味あられましたらぜひお読みいただければ幸いでございます。
初出:2010年8月24日
そもそものはじまりは石灯りロードだったんですよ。
石灯りロードは、香川県の屋島のへんで毎年夏に行われている、町おこしの一大イベントです。
以前にも説明したかと思いますが、庵治石(あじいし)ってのがありましてね、日本一の庵治石の産地がこの香川の屋島のへんなんですね。
屋島といえば、源平屋島の戦いの屋島です。
駒立岩なんて、那須与一が矢を射った場所がまさにそこですよ。
で、琴平電鉄、通称「ことでん」の八栗(やくり)の駅からほぼ直線道路で北に1kmいけばそこが駒立岩。
その、八栗駅から駒立岩まで、庵治石を使ってさまざまな灯篭をつくり、ライトアップして町の活性化。
これが石灯りロード、というわけです。
町おこしですから、地域ぐるみでのイベント、各家庭の玄関先にこの灯篭を置くわけですが、電気代はもちろん個人持ち、各御家庭のご協力に頼る、ということになっております。
わたしがこのイベントを初めて知ったのは3年前。(筆者注:当時の3年前ですから、2007年のこと、です)
前職の某建設会社に勤めていて(筆者注:これも当時のことですから、今から数えますと前々々々職、となります)、ふと社内回覧が舞い込んだんですね。
そこには、建設業がいかにして地域に貢献することができるか、というセミナーの紹介だったわけです。
セミナーの場所はなんと、徳島!
そのときを遡ること3年間は、出向で農林水産省の外郭団体に勤めていたわけですが、そのときに出張で行った徳島にすっかり魅せられていたわたしは、一も二もなくセミナーに申し込んだ、と。
こりゃ、徳島がおれを呼んでいるに違いない、なんて。
で、そのセミナーで知ったこの石灯りロードにまた魅せられてしまった、とまあ単純ですがそういうわけです。
見てもいないのに、ねえ。
それから3年。
夏が来れば、あ゛~、石灯りロード、行きてえなあ、なんてずーっと言ってたんですが、それも今年で限界。
もうなんでもいいからおれ行くわ、とヨメに宣言したということだったんです。
折りしも、ヨメも働き出してくれて、家族で旅行するくらいの財力は確保できそうだし。
加えて、上の娘も受験を終え、そのお祝いも兼ねてでもあるし、と、じゃあついでだから徳島に寄って石灯りロード、とあいなったわけです。
わたしがいまほんとに心から一番好きな徳島も、家族に体験させてあげられる。
この4年間で5回徳島には行っています。
いくたびに徳島にハマっています。
実際、今すぐにでも徳島に住みたいぐらいで。
ちょっとディズニーランドに遠いので、そこらへんが考えものっちゃ考えものですかね。
ディズニーランドが徳島に来ればいいんですけどね(笑)。
いやいやそれはさておき、そんな徳島に愛する家族と行くことができる。
ほかにこんな幸せなこと、ちょっとわたしには考えられませんでした。
もともと旅行好きで、旅行の予定を立てるのはもっと好きな私のこと。
そう決心するとあとは早かったですね。
とにかく安い宿を、と、じゃらんを駆使し、一人3,800円なんてホテルをみつけだし、土曜の深夜に出発して日曜の日中を一日徳島で過ごし、夕方に香川へ移動して日曜の夜に石灯りロード、一泊して翌月曜は帰るだけ。
綿密な行動予定を作成、分刻みでの予定表を編み出しました。
ところが、です。
いよいよ出発、の3日前。
帰りの高速道路行程を調べていたところ、どうも高松から名古屋への行程は、瀬戸大橋を渡って岡山廻りで帰るのがちょっと値ははるものの近い、ということに気づいたのです。
すっかり、もう一度徳島に帰って淡路を縦断してなんて考えていた私は、ちょっと驚き。
そして歓声。
だって、岡山もまだ行ったことのない県だったからですね。
こりゃ行かねば行かねば。
ということで、当初は月曜に明けてから昼ごはんとして香川で讃岐うどん食べて、であとは帰るだけ、という予定だった行程を前倒し。
日曜の夜、石灯りロードの前に讃岐うどん食べて、月曜は朝早く倉敷の美観地区へ行って、それで帰ろうと、予定を組みなおしたわけです。
さあ、あとは行くだけ。
運転は長いですが、とはいえ距離でいったら千葉へ行くよりも若干近いわけで、わくわく度は増すばかり。
徳島で阿波踊りを子供たちに踊らせようと、家でレクチャーしながら来る日をまさに首を長くして待ったのでした。ふふふ。
長くなりました。つづきはまたあした(筆者注:次回)、です。
↑昨年のチラシです。