★★★★★☆☆☆☆☆
2001年 102min.
ネタバレ どうしても若干はあります m(_ _)m
敬称略
本作、わたくしまったくなんの前知識も入れずに観てみましたので、最初はホラー映画かと思ってましたら、なにやら近未来のSF映画でした。まあ、よくわからんけどゲイリー・シニーズなら期待できるかな、という感じで観はじめたものです。ゲイリー・シニーズ、ドラマ「CSI:NY」が始まる3年前となりますね。
↑マック・テイラー警部補、でございます。 若干まだ若い、ですかね。
わたし最初は、なにしろキャストのすごさに一人でコウフンしてましたよ。
ゲイリー・シニーズに始まって、「張り込み」のマデリーン・ストウ、「フルメタル・ジャケット」のヴィンセント・フィリップ・ドノフリオ(現在はヴィンセント・ドノフリオ)、「ER」のメキ・ファイファー、あ、トニー・シャルーブ(笑)(「13ゴースト」)、「CSI科学捜査班」のゲイリー・ドゥーダン、「ニューヨーク東8番街の奇跡」のエリザベス・ペーニャと。懐かしいのとドラマ感とがハンパねえなあ、などと思っていたわけですよ。でも一番コウフンしたのはトニー・シャルーブですよね。前日に「13ゴースト」観るまでこの人の存在知らなかったんですよ、わたし。それなのに、すぐ次にクジ引いたらその人がまた出てる映画だった、て、もうなんかあるとしか思えませんよね。やっぱりわたし、映画はライフワークなんでしょうね、きっと、と思った次第です。
↑マデリーン・ストウ。「張り込み」の時に、あまりの美しさにクラクラしました。
↑ヴィンセント・ドノフリオ。詳細は下記です。
↑トニー・シャルーブ。まさか続けて観ようとは、思いもしませんでしたね。
↑ゲイリー・ドゥーダン。「CSI科学捜査班」のスピンオフのスピンオフかと思っちまいますね。
↑エリザベス・ペーニャは懐かしいにつきます。
↑ドノフリオ、初見はこちらです。なんならイケメンですよ。
↑それが次作でこうなっちゃいまして、わたし衝撃でした。 気持ちはわかりますが……。
↑やっぱり人として、これくらいがちょうどよいです。
さて、そんなこんなでちょっとした入れ込みもありながら観はじめた本作ですけれども、いやちょっとでもなあ、て感じです。いまいちピンとこないというか、共感できない?入り込めない?て。
言いたいことはわかるんですよ、近未来での異星人との闘い。でもそんな使い古された話を2001年の映画でやる必要があったのか、って思ってしまいますと、そこからはもう「う~ん」てなります。
地球征服を狙う異星人センタウリ(字幕表記は「ケンタウリ」)。
あ、そうそう、わたしかねてから思ってたんですけれどもね、なんでセリフではっきりと「センタウリ」って言ってるのに字幕では「ケンタウリ」なのでしょう。確かにですね、ケンタウリ呼びのほうが自国語なんでしょうよ、それはわかります。日本語でも「ケンタウルス」っていいますよね。でもね、映画では英語でちゃんと「センタウリ」って言ってるんですよ。「ケンタウリ」呼びの自国はギリシャなのかどこかは知りませんけれども、少なくとも本作は英語の映画じゃないですか。ならここはわざわざ「ケンタウリ」にしないでも、「センタウリ」でいいじゃないか、と思うわけです。その昔、「リーサル・ウェポン」でゲイリー・ビジーの役名が「ジョシュア」でした。誰もかれもが彼を呼ぶとき「ジョシュア」て呼んでます。当たり前ですね、名前なのですからね。なのに戸田奈津子、わざわざ字幕で「ヨシュア」てしたんですよ。たしかに旧約聖書で「ヨシュア」という人は出てきます。それはわかります。でも人の名前じゃないですか。「ジョシュア」は「ジョシュア」じゃないですか。みんなが「ジョシュア」って言ってんのに、字幕は「ヨシュア」になってて、わたし違和感しか覚えませんでしたよ。そもそもアメリカ人は、旧約聖書を読むときに「ジョシュア」は「ジョシュア」と読みますよ。「ヨシュア」とは言わないんですよ。そんなこと思ってたら、同時になんか戸田奈津子の驕りみたいなものまで見えちゃって、それ以来戸田奈津子は大嫌いなのですね。
と、「ケンタウリ」でそんなどうでもいいことを思い出してしまいました。
閑話休題。
で、そうなりますと、ちょっと映画も入ってこなくなって、う~ん、地球征服を狙う「センタウリ」が世界征服を狙う悪の秘密組織「ショッカー」と戦ったらどうなるんだろう、とかそんな余分なことばかり考えてしまっていたのですが、ご安心ください、映画はその間、淡々と進み、突然それを忘れさせるように事が起こります。ここらへんの展開は、遅くも速くもなく良かったですよ。でもね、それもそこまで、でした。
そもそも心臓に爆弾が仕掛けてあるんですけどね、それって、そんな近未来でも発見できないものなのでしょうかね。どうみてもそんな精巧なものにも見えませんでしたよ、爆弾。
で、ここがやっかいなのですけれども、ゲイリー・シニーズは実は「センタウリ」が造ったレプリカントで、本当のゲイリー・シニーズはもう既に死んでいる、でもレプリカントであろうゲイリー・シニーズはそれを認められず、つかまっていたところから逃げ出して逃亡劇が始まる、と。観ている側も、ゲイリー・シニーズは本物なのかレプリカントなのかわからない、という話になっていくわけですよ。
えとですね、それもう、めんどくさいです、すみませんが。観客巻き込み型は、話がスピーディでラストで大大大どんでん返しでもあればおもしろいのですけれども、なんか観ていてもムダに長いし、登場人物が限られているので、そんなどんでん返しも期待できそうにないしで、まあもう一瞬にして、めんどくさくなりました。
そうこうしていると、トニー・シャルーブが早々に死にますね。これもわかっていたことですよ。最初に死ぬのはトニー・シャルーブ、って誰もが思うんじゃないですかね。
なんか全体的に「トータル・リコール」に似てるし、ゲイリー・シニーズが逃げてるところは「ターミネーター」だし、同じごった煮でも、前回観た「13ゴースト」とは重さが違いますね。
↑雰囲気と言い色味といい、「ターミネーター」感満載です。
すると今度は、ドノフリオがとんでもないやつだということが判明しますよ。なんかこれまでに、レプリカントと間違えて10人も本人を殺してしまっていたそうです。で、ここで普通なら、いやいやそれじゃゲイリー・シニーズは本物なのだな、本物なのに殺されちゃたまらんわな、と思うのでしょうが、じつは30分経ったそれまでにもそれほどゲイリー・シニーズへの思い入れがわかなくってですね、大した緊迫感にはならないのですよ、ザンネンながら。
でわたしここで、ここまでくるとどうやら原作があるのだろうと、いや、あるに違いない、と思いまして、映画をいったん止めて調べてみましたら、いやいやなんとフィリップ・K・ディックの小説じゃないですか。そんなん早よ言うてくれよ、という感じでしたね。そら「トータル・リコール」っぽいなあ、ですよ。同じ人が書いてるんですからね。わたし、作中に出てくる宇宙船みたいのがどうにもノーチラス号っぽくって、ひょっとしたらこれジュール・ヴェルヌの原作なんじゃないかと思ったりもしていましたが、それはなんかのオマージュかリスペクトか、ってことだったのでしょうね。
↑こちらの宇宙船、ですけど、
↑まあ、ノーチラス号、ですわね。
で、そうなりますと、その原作がどこまで踏襲されているのかはわからないのですけれども、それにしてもな「?」がそこかしこに見られます。
例えば、ゲイリー・シニーズが逃げている途中で、あるビルに逃げ込むのですけれども、追っているほう(ドノフリオ一味ですね)はスキャンしても建物の中が見えない、と。鉛塗装なのかもしれない、なんて言ってましたけど、いやいや鉛ってそんなにすごいのか、て思いましたよ。「スーパーマン」でも透視できませんでしたからね、おそらく宇宙最強の物質なのだろうと、そんなどうでもいいことを思ってしまいますね。
演出にもやっぱり物申したくなるところが出てきます。格闘シーンなんかがその最たるものでした。
ゲイリー・シニーズとメキ・ファイファーが敵(ドノフリオ一味ですよ)と戦うシーンです。まあこれに関してはアメリカのどの映画でもそうなのですけれども、派手に見せようとか、スピーディに見せようとかするばかりに、すごくたくさんカット割りするんですよ。たしかにパッパッパッパッと画面が切り替わるので、スピーディには見えるのですけれども、これね、目がついて行かなくって、まったく落ち着きません。老眼だから、ということもありましょうが、でも若い時でもそう思ってましたから、やっぱりこれはダメな演出、とわたしは思うわけです。我らがジャッキー・チェン監督の映画と比べてみるとほんとによくわかりますよ。ジャッキーはほとんどのアクションシーンを俯瞰で撮ってますからね、ものすごく動きがよくわかるのです。やはりジャッキーはよくファンのことを考えているのですよ。尊敬しますね。
その監督は、ゲイリー・フレダー。「バトルフロント」の監督さんですね。「バトルフロント」の一般の評価は良いわけですから、10年前の本作の経験が活かされているのかもしれませんね。
さて、とはいえですね、そんな盛り上がらないことばかりでもないのですよ。メキ・ファイファーはゲイリー・シニーズを本人と信じていて、レプリカントとは疑いません。そういうちょっとしたところで、観ているこちらは逆に不安をあおられるので、55分を過ぎたころには緊迫感が若干増します。まあ・メキ・ファイファーはタイロン・ウッズに似ていて、わたしはそっちのが気になりましたが。
↑メキ・ファイファー。「ER」のときにも思ってましたが……、
↑タイロン・ウッズ似ですね。
ので、そうしたところではけっこうなサスペンス感はありましたね。そもそもやっぱり、ゲイリー・シニーズは本物なのかレプリカントなのか、っていうギモンはずっとあるわけですからね。めんどくせえとかいって混乱しながらも、やっぱりドキドキ感はあるわけですよ。でもですね、こうしたサスペンス的な映画に必要な盛り上がりには、欠けるんですよねぇ……。ようするに、おもしろくないわけではないのですけれども、おもしろいかといわれるとそうでもない、なんてことになってしまうのです。その意味での☆5つとなりました。
最後の最後で、「おおおっ、そうきたかあっ」なんてことにはなりましたが、大大大どんでん返しとまではいかず、最後まで「フツー」に時が過ぎていったのでありました。
えと、で、わたしこれ最大のギモンなのですけれどもね、あの爆弾ですよ。心臓に埋め込まれていたという、要はこの映画のキーともいうべきあの爆弾。なんか最後爆発してましたが、ものすごい威力なのですね。周囲何kmにもわたってほぼ壊滅、みたいな、小型にしてはトンデモな爆弾でしたが、これ、ターゲットに近づかないと爆発しない設計なのですね。「近づく」てのがどれほどかの説明はなかったですが、なにしろ肉薄くらいにまで行かないと起動しないみたいですよ。でも、あんなに爆発するんだったら、別にどこで起動してもいいんじゃないかと、わたしは最後の最後で最大のギモンを抱えて観了するという、悲しい結果となってしまったのでした。これほんと、これでいいんですかね?
今日の一言
「作中、一回も「クローン」て出てこない……」