2018年 90min.
★★★★★★☆☆☆☆
ネタバレ:ありますとも。
敬称略
一般的な評価は☆2.3(満点は☆5つ)といったところみたいです。ここのところ出すぎ感のあるニコラス・ケイジの映画ですね。わたしはキライではないのですけれども、ちょっとこの映画は・・・・・・、という感じです。
なんかね、キレイじゃないんです。そもそもニコラス・ケイジ自体があまり「キレイ」というイメージないのですけれども、なんかそれに輪をかけて、というか。共演も「ボーン・アイデンティティ」のフランカ・ポテンテですから、ますますなんか清潔感から遠ざかる、的な。
↑うへっ、て感じですよね。
↑こちらがフランカ・ポテンテ。まあ、そういう役、なんでしょうけどね。
いや、なんかめっちゃ失礼なこと言ってますが、イメージですからね、イメージ。ま、なんのフォローにもなってませんけど。
なんかどうにも内容的にものっけから理不尽ですよ。いきなりフランカ・ポテンテがでっかいおじさんに首絞められて殺されそうになってるところにニコラス・ケイジが遭遇しますね。で、まあ映画ですしニコラス・ケイジですから、そりゃあ助けに入りますとも。で、おじさんをボコボコにします。まあね、ここまではいいんですよ。でもそのあとがなんともはやでしてね。
どうやらこのおじさん、まだこの時点では理由はわかりませんけれども、フランカ・ポテンテに頼まれて首を絞めてたらしいんですね。いや、理由はわからないんですよ。でもフランカ・ポテンテが、わたしの首を絞めて落としてくれ、って頼んだことは間違いない、と。
で、それを知ったニコラス・ケイジは愕然としますね。当たり前です。で、こんな会話が繰り広げられます。
「おれはあんたを助けようとしただけだ」
「わかってる、ありがとう」
いやあんた、「ありがとう」って、そりゃボコられたおじさんがかわいそうでしょうに。なんか見たところ瀕死の重傷っぽかったですよ。いったいなんじゃこれは、で話が始まるのですね。わたしはこのおかげで、最後までなんだか腑に落ちませんでしたよ。
ところでそのフランカ・ポテンテですが、「ボーン・アイデンティティー」からこの年で17年経っちゃってますね。まあ当時もけっこうな老け顔の方ではありましたが、やはり17年という月日はおそろしいものです。これ以上の言及はやめときますが、なにしろそのぽっちゃり具合はザンネンでなりませんでした。役作りなのかもしれませんけどね。でもまあ、痛々しかったのは事実なのでありました。あ、ぽっちゃりしてておなかがポテンテ、とは言いませんからね、ゼッタイ。
↑最初、妊娠してんのか、て思いました。
まあ、それはそれとして、しばらくはこうしていろいろとわからないまま話が進んでいきますね。ニコラス・ケイジの借金がどうのとか、なんの説明もありません。挙句の果てには、そんなとてつもなさそうな借金抱えてるくせに、乗ってるトラックがやたら立派だとか、突然3日も経って、ひょっとしてこれはコメディなのか、とか思っちゃったりもして、開始40分経っても頭の上にはずっと「?」がついてますよ。40分ですよ、40分。90分のうちエンドタイトルの約5分を引いたら、上映時間の半分じゃないですか。これほんとにちゃんと全部つながるのか、って不安になります。
↑ピッカピカで、めちゃめちゃ高級そうなトラックです。
それだけじゃないです。なにしろね、汚いんですよ、ニコラス・ケイジが。そもそも最初っから不潔感満載のくせに、三日も風呂に入ってないとかヤバすぎますね。なんか観てて臭くなってしまいます。髪の毛はワカメみたくなってるし、ヒゲも不潔だし、こちらの身体がかゆくなる、てなもんですね。
↑もうお前、出てくんな、みたいな。
その昔、「48時間」で主役の刑事をやったニック・ノルティが、「ビバリーヒルズ・バム」って映画でホームレスの役をやったんですけど、この人、じつはロバート・デ・ニーロなみのアプローチを敢行される方で、その「ビバリーヒルズ・バム」の時も完璧に実際に近づけるようにと、なんか2か月か3か月風呂に入らなかったらしくって、撮影時はもうそのトンデモない臭さで共演陣が演技にならなかった、なんてことがあったのですけれども、まあ本作でニコラス・ケイジがそれをやったって話はないですが、なんかそれを思い出してわたし、気分が悪くなってしまいました。
あ、ちなみにその立派なトラックですが、案の定やっぱり借金のかたに持ってかれましたね。そらま、一番金目のものですし、借金してるくせにあのトラックはないですわね。
なんかそれにしても、出てくるやつ出てくるやつ、みんなすごい入れ墨してますなあ...。そんでもってこのニコラス・ケイジがやたらモテるという...。おそらくそれがミソなんでしょうけれど、だからやっぱり「?」は消えないのですね。
↑ニコラス・ケイジ、こんなんなのに...。
↑モテるんですよ、これが。
40分過ぎても、やっぱり情勢はあまり変わりませんよ。もうなにせ汚いやつばっか出てきます。酒飲んでデロデロになって、タバコはばかばか吸うわ、入れ墨だらけだし髪はボサボサ、ヒゲぼうぼう。太いしもう、全然入り込めませんよ。途中、フランカ・ポテンテの娘役の子がはだしで歩いてて、こんなとこで靴履かんかったら汚いのに、なんて思ってましたら、まあこれ足の裏真っ黒でしたね。そんなことばっかりが気になってしまうのです。
↑いやこれ、アカンでしょう、映画的に。
で、50分すぎてどうやらようやく真相が明らかになりましたよ。あと30分くらいしかないですね。まあ30分あればだいたいの決着はつくのでしょうけれども、これだからひょっとして、もうちょっとうまくすれば1時間くらいで終わるんじゃね、くらいに思ってしまいました。
もちろん1時間の映画なんて、さすがにお金を払って観る気にもなりませんし、物足りなさ抜群なわけですけれども、だからって90分ただだらだらとわけのわからないことを描写されても、それはそれで金返せ、の大合唱となることは請け合いですね。
これも、その昔、ですけれども、ヴァイオレンス映画の巨匠、「48時間」のウォルター・ヒル監督が言ってましたが、映画は90分から長くても100分が理想だ、てことですよ。わたしも同感です。ただ長ければいいってもんでもないのです。まあ最近は、130分でもあっという間に終わった、なんて秀逸な映画もたくさんありますけれども、でも130分が100分で終われば30分短縮できるわけで、130分の映画を3本観る間に100分の映画は約4本観られると思えば、わたしはやっぱりウォルター・ヒル派ではありますよ。
閑話休題。
で、いよいよ真相は、もうなんか愕然です。要するに、昔死んでしまったニコラス・ケイジの妻が、フランカ・ポテンテの娘の身体に乗り移って現世に戻り、ニコラス・ケイジとセックスする、ってお話ですわ。
いやいや、あんたこれ、死んで向こうの世界に逝って、そこからずっとニコラス・ケイジの元に戻ってきたいと思ってて、ようやく戻ってこられたら即セックス、て、向こうの世界でいったい何をずっと考えてたんだか……。
まあ要するに、ですよ。ホラーの名を借りた超絶愛憎三角関係物語、とまあそういうことですね。ちょっとコメディありの。まあ、ニコラス・ケイジが役得というかなんだかもうこれ、おいしすぎるやろ、て感じですかね。
えと、同じような題材の映画で、いや、あくまでも同じ「ような」て意味ですけれど、そんな映画で、「ゴースト ニューヨークの幻」とか、映画じゃないですけど東野圭吾の「秘密」とかありますけど、これらはあんなにキレイだったのに、と思うとなんかもうガッカリ感が身を包みますね。
途中で出てくるニコラス・ケイジのブリーフ姿のモッコリは観るに堪えませんし、いったいなにを主題にしたかったのか、わけがわからなくなってしまいます。
1時間を過ぎたあたりで物語は急展開を見せるわけですけれども、なんというか、時すでに遅しとでもいいましょうか。ニコラス・ケイジが突然壊れますが、それもなんの驚きも感動もなく、あ、壊れた、的な。
↑お笑い芸人のようですな。
ラストも唐突でした。逃げた二人はいったいこれからどうなるのだろう、とギモンを残したままエンドタイトルに入りました。
て、ここまで書いてきて、え、じゃあなんで☆6つもついてんだ、て自分でも不思議に思いましたが、観ながら感想を書きとめていたメモ帳には、「まあでも、汚いけどヒドいというほどではないかも。」って書いてありました。そういうことなのでしょう、きっと。まあ、おすすめはしませんけどね、ゼッタイに。
ちなみに、エンドタイトルは7分20秒ほどありました。長いっての。
今日の一言
「運転しながらよそ見すんなって!」
↑運転中です。