10月26日。鳩山新総理が所信演説を行った。
その内容は具体論というよりは、同氏の理念を語るような内容であった。そして具体的な方策が無い、曖昧。そのような批判が新聞メディアからも既に行われているが、真の問題は全くそんな所ではない。
同演説の中で、相変わらず同氏は、効率優先の経済の否定、弱者対策という理念を掲げている。恐らくは、この所信演説以外にも、口を開けば同氏は友愛、弱者を見捨てない、効率優先の経済の否定という趣旨の言葉を発言している事から考えても、同氏の頭の中はこの友愛精神溢れた弱者対策の事で一杯なのだろう。そして自分はこの元々は兄弟愛を意味するはずのこの友愛精神を拡大解釈した、総理の歪んだ友愛の概念にこそ、今の民主党の根本的な問題があると思っている。
まず、この弱者対策という一見耳あたりの良い政策の正体とは何だろうか?まず基本から整理していきたい。
本質論を述べるならば、敢えて断言するが「弱者対策の本質」は「効率的でない財政投資を行う事」だ。例えば、生活に足る収入を何らかの事情で稼げない人間がいるときに、生活保護という制度がある。そして後期高齢者制度を見直し、お年寄りに優しい保険制度にするというような事もいわゆる弱者対策に括られるカテゴリーになる概念だ。
一方、健常な人間は勤労をし、生活の為の糧を稼がねばならないわけだが、彼等が稼いだ金のうち一部を税金として支払い、その金が結果的にこうした弱者対策として使われる事でこの手の制度は成立できている。つまり、勤労という価値創造行動を行っていない一部の人間に、この勤労行為をした人間の糧を与えるというのが”弱者対策”の正体、本質なのだ。これは効率だけを考えると極めて悪い行為という事になる。
ただ、自分はその効率という点だけをもって、この弱者対策全般を否定するつもりは全く無い。何故ならば、弱肉強食の理の下、国家の中で例えば先天的に障害を負った人間が死に絶えるような国であっていいのかという問題があるからだ。日本にはそんな国にはなって欲しくないと自分も思うし、この非効率な行為「弱者対策」は、真の弱者に対しては一定必要なのだろうと思う。
ただしだ。あくまで弱者対策の本質は”非効率な行為”であり、その内容を充実させれば充実させるほど「一般の健常者にとって重い枷」になるのだという基本を忘れてはならない。弱者対策は必要だが、弱者を救うために金を大盤振る舞いをし、一般の健常者の相対的下層が苦しみに塗れてしまっては何の意味も無いのだ。そして弱者対策を支えるものが何かといえば、「弱者を救う側の強者側の余裕」だ。弱者対策により、強者側に重い枷を課し、強者の相対的下層を弱者になるまで苦しめ、弱者を増やしてしまっては本末転倒である。弱者対策はそのバランスがとても重要であり、政策実行に極めて繊細なさじ加減が要求されるものなのだ
そして実は、現在無駄なものとして認識をされ、鳩山内閣が目の敵にしている「公共事業」も実は事実上の弱者対策にカテゴライズされるべきものだ。明らかに無駄な事業をし、そのために無駄な税金が使われている。では何故こんな事をしているかといえば、無駄な工事、つまり無駄な事業を生み出す事で、その無駄な事業で金を得て経営を維持できる法人があり、その法人が雇用を生み出すサイクルがなければやっていけない弱者がいるからだ。一部の地方の事である。
その何の事業もなく、国の手を借りなければ雇用を維持する事ができない”地方の事業者・労働者”という弱者を助ける為に、無駄な公共事業が行われ続けているのだ。要はこれも形を変えた弱者対策の一部なのだが。総理は本当にその基本をきちんと認識できているのだろうか?
鳩山政権は無駄な予算の削減を叫び、予算の見直しを政策の旗印にしているため、その公共事業の削減にメスを入れている。その行為は正しい。だが一方でその本質的に同じ行為である生活保護の母子加算は復活をさせる等等の、同氏一流の情緒的な「弱者対策」は充実させていくつもりのようだ。
しかし無駄な予算を削るという事は、公共工事見直しのように、効率的でない予算を削るという事に他ならないはずであり、無駄を削るというのならば、まさに彼の否定している「経済効率」で考え、弱者対策に代表されるような「効率的でない予算」を見直すしかありえないはずだ。
にも関わらず、同氏は効率という経済原理を否定し、効率的でない予算は更に増やすと言っている。彼は一体この国をどっちの方向に導こうとしているのだろうか。
国全体の成長力が落ちている現状は、大多数の一般健常者の疲弊を意味する。そこで健常者も大変なので、もう少し効率の良い国家運営にさせて欲しいというのが、本来の無駄削減の話しのはずである。そこで公共工事のような非効率な事はやめましょうという事になったはずが、変わりに他の非効率行為がはじまってしまうようだ。これでは何の意味も無い。大前氏が指摘している通り、民主党の足し算論理には、その財源を一体誰が稼いでいるのかという概念が抜け落ちているのだ。
そして、これが今回の所信演説に現れた同氏の友愛の正体だ。無駄な予算を削るという事は、当然その無駄な予算で生活している人間達の生活レベルを下げると断言する事を意味する。当然、そこには既得権者との間で軋轢が生じるだろう。要は、その軋轢が同氏は嫌なのだ。鳩山氏の友愛の正体とは、「自分は弱者を見捨てない賢人でありたい。」という極めて情緒的な名誉欲である。だから、公共工事のような「評判の悪い」無駄を削減し、「評判の良い」弱者対策を増やす事で、友愛だという事になるのだろう。彼の尺度は本人も言っているように”効率”ではなく、”評判”や”情緒(好き嫌い)”であり、それが彼の曲がった友愛の正体なのだ。但し、先ほどから述べているように彼が否定している公共工事も事実上の弱者対策である。地元には地元、労働者には労働者の生活がある。ダム問題が一行に進展を見せないが、その生活を壊し、一時的に雇用を壊滅させるような状況になり、弱者となった彼等側から”評判の悪い”苦しみの呻きが出て広まった時、”情緒”で判断する鳩山氏は容易にその判断を変え、撤回するだろう。既に各自治体の知事がタッグを組んで前原国交相にあたり、前原氏が苦戦しているが、この問題が進展した際に、あっさりと鳩山氏がその梯子を下ろし、前原国交相が憤死している姿が容易く想像できる。自治体側はダム建設推進を希望するに決まっているが、国としては廃止すべき、あのダム問題の本質はまさに国を運営する際の効率の観点なのだが、”経済効率”を否定する総理はそういう判断は出来ないだろう。
一国の進む方向は、大多数の健常者がまず幸せな生活を営めるという事が一番初めに来るべき事柄のはずで、そのために必要なのが税金を少なくする事。それが予算編成上の無駄の削減を意味するわけであり、その件を、”経済効率”を優先しないで一体どうやって解決しようというのだろうか。
効率と、弱肉強食という論理は制度ではなく、単純にして、この世の理なのだという事を同氏はもう一度見つめなおすべきだ。弱者対策は、その「この世の理」が「最大限に効率的に発揮された」後、最後に残った本当に一部の弱者の人間にだけ行うべきもののはずだ。
”宇宙人の情緒”で動き始めてしまった今の日本。
資源も何もない辺境の島国であるこの国の指揮は、”経済効率”ではなく”宇宙人の情緒”で進んでいくらしい。
一体、この国は何処に走っていくというのだろうか。
まともな日本人の国外逃亡への時期。
意外とその時は近いかもしれない。
同氏は、個人資産も潤沢にあるようだから、日本が混乱しても屁でもないだろうが。
その内容は具体論というよりは、同氏の理念を語るような内容であった。そして具体的な方策が無い、曖昧。そのような批判が新聞メディアからも既に行われているが、真の問題は全くそんな所ではない。
同演説の中で、相変わらず同氏は、効率優先の経済の否定、弱者対策という理念を掲げている。恐らくは、この所信演説以外にも、口を開けば同氏は友愛、弱者を見捨てない、効率優先の経済の否定という趣旨の言葉を発言している事から考えても、同氏の頭の中はこの友愛精神溢れた弱者対策の事で一杯なのだろう。そして自分はこの元々は兄弟愛を意味するはずのこの友愛精神を拡大解釈した、総理の歪んだ友愛の概念にこそ、今の民主党の根本的な問題があると思っている。
まず、この弱者対策という一見耳あたりの良い政策の正体とは何だろうか?まず基本から整理していきたい。
本質論を述べるならば、敢えて断言するが「弱者対策の本質」は「効率的でない財政投資を行う事」だ。例えば、生活に足る収入を何らかの事情で稼げない人間がいるときに、生活保護という制度がある。そして後期高齢者制度を見直し、お年寄りに優しい保険制度にするというような事もいわゆる弱者対策に括られるカテゴリーになる概念だ。
一方、健常な人間は勤労をし、生活の為の糧を稼がねばならないわけだが、彼等が稼いだ金のうち一部を税金として支払い、その金が結果的にこうした弱者対策として使われる事でこの手の制度は成立できている。つまり、勤労という価値創造行動を行っていない一部の人間に、この勤労行為をした人間の糧を与えるというのが”弱者対策”の正体、本質なのだ。これは効率だけを考えると極めて悪い行為という事になる。
ただ、自分はその効率という点だけをもって、この弱者対策全般を否定するつもりは全く無い。何故ならば、弱肉強食の理の下、国家の中で例えば先天的に障害を負った人間が死に絶えるような国であっていいのかという問題があるからだ。日本にはそんな国にはなって欲しくないと自分も思うし、この非効率な行為「弱者対策」は、真の弱者に対しては一定必要なのだろうと思う。
ただしだ。あくまで弱者対策の本質は”非効率な行為”であり、その内容を充実させれば充実させるほど「一般の健常者にとって重い枷」になるのだという基本を忘れてはならない。弱者対策は必要だが、弱者を救うために金を大盤振る舞いをし、一般の健常者の相対的下層が苦しみに塗れてしまっては何の意味も無いのだ。そして弱者対策を支えるものが何かといえば、「弱者を救う側の強者側の余裕」だ。弱者対策により、強者側に重い枷を課し、強者の相対的下層を弱者になるまで苦しめ、弱者を増やしてしまっては本末転倒である。弱者対策はそのバランスがとても重要であり、政策実行に極めて繊細なさじ加減が要求されるものなのだ
そして実は、現在無駄なものとして認識をされ、鳩山内閣が目の敵にしている「公共事業」も実は事実上の弱者対策にカテゴライズされるべきものだ。明らかに無駄な事業をし、そのために無駄な税金が使われている。では何故こんな事をしているかといえば、無駄な工事、つまり無駄な事業を生み出す事で、その無駄な事業で金を得て経営を維持できる法人があり、その法人が雇用を生み出すサイクルがなければやっていけない弱者がいるからだ。一部の地方の事である。
その何の事業もなく、国の手を借りなければ雇用を維持する事ができない”地方の事業者・労働者”という弱者を助ける為に、無駄な公共事業が行われ続けているのだ。要はこれも形を変えた弱者対策の一部なのだが。総理は本当にその基本をきちんと認識できているのだろうか?
鳩山政権は無駄な予算の削減を叫び、予算の見直しを政策の旗印にしているため、その公共事業の削減にメスを入れている。その行為は正しい。だが一方でその本質的に同じ行為である生活保護の母子加算は復活をさせる等等の、同氏一流の情緒的な「弱者対策」は充実させていくつもりのようだ。
しかし無駄な予算を削るという事は、公共工事見直しのように、効率的でない予算を削るという事に他ならないはずであり、無駄を削るというのならば、まさに彼の否定している「経済効率」で考え、弱者対策に代表されるような「効率的でない予算」を見直すしかありえないはずだ。
にも関わらず、同氏は効率という経済原理を否定し、効率的でない予算は更に増やすと言っている。彼は一体この国をどっちの方向に導こうとしているのだろうか。
国全体の成長力が落ちている現状は、大多数の一般健常者の疲弊を意味する。そこで健常者も大変なので、もう少し効率の良い国家運営にさせて欲しいというのが、本来の無駄削減の話しのはずである。そこで公共工事のような非効率な事はやめましょうという事になったはずが、変わりに他の非効率行為がはじまってしまうようだ。これでは何の意味も無い。大前氏が指摘している通り、民主党の足し算論理には、その財源を一体誰が稼いでいるのかという概念が抜け落ちているのだ。
そして、これが今回の所信演説に現れた同氏の友愛の正体だ。無駄な予算を削るという事は、当然その無駄な予算で生活している人間達の生活レベルを下げると断言する事を意味する。当然、そこには既得権者との間で軋轢が生じるだろう。要は、その軋轢が同氏は嫌なのだ。鳩山氏の友愛の正体とは、「自分は弱者を見捨てない賢人でありたい。」という極めて情緒的な名誉欲である。だから、公共工事のような「評判の悪い」無駄を削減し、「評判の良い」弱者対策を増やす事で、友愛だという事になるのだろう。彼の尺度は本人も言っているように”効率”ではなく、”評判”や”情緒(好き嫌い)”であり、それが彼の曲がった友愛の正体なのだ。但し、先ほどから述べているように彼が否定している公共工事も事実上の弱者対策である。地元には地元、労働者には労働者の生活がある。ダム問題が一行に進展を見せないが、その生活を壊し、一時的に雇用を壊滅させるような状況になり、弱者となった彼等側から”評判の悪い”苦しみの呻きが出て広まった時、”情緒”で判断する鳩山氏は容易にその判断を変え、撤回するだろう。既に各自治体の知事がタッグを組んで前原国交相にあたり、前原氏が苦戦しているが、この問題が進展した際に、あっさりと鳩山氏がその梯子を下ろし、前原国交相が憤死している姿が容易く想像できる。自治体側はダム建設推進を希望するに決まっているが、国としては廃止すべき、あのダム問題の本質はまさに国を運営する際の効率の観点なのだが、”経済効率”を否定する総理はそういう判断は出来ないだろう。
一国の進む方向は、大多数の健常者がまず幸せな生活を営めるという事が一番初めに来るべき事柄のはずで、そのために必要なのが税金を少なくする事。それが予算編成上の無駄の削減を意味するわけであり、その件を、”経済効率”を優先しないで一体どうやって解決しようというのだろうか。
効率と、弱肉強食という論理は制度ではなく、単純にして、この世の理なのだという事を同氏はもう一度見つめなおすべきだ。弱者対策は、その「この世の理」が「最大限に効率的に発揮された」後、最後に残った本当に一部の弱者の人間にだけ行うべきもののはずだ。
”宇宙人の情緒”で動き始めてしまった今の日本。
資源も何もない辺境の島国であるこの国の指揮は、”経済効率”ではなく”宇宙人の情緒”で進んでいくらしい。
一体、この国は何処に走っていくというのだろうか。
まともな日本人の国外逃亡への時期。
意外とその時は近いかもしれない。
同氏は、個人資産も潤沢にあるようだから、日本が混乱しても屁でもないだろうが。