学生時代の夏の思い出

 

正直なところ学生時代の夏休みって部活の思い出しかありません。



夏休みはほぼ毎日朝から晩まで部活してたよなぁーテニス



今とは違って水分補給はNG(先輩が先)だったからノドからからで死にそうな思い何度もしたなー。暑さで倒れてた子もいたなー。先輩に隠れて冷水機の水がぶ飲みしたなー。後輩が汲んで作っておいた麦茶を先輩が飲み干しても「大丈夫です👌」とか言ってたなー。今の時代の子なら嬉々として



それパワハラ😤



って言うことが当たり前にまかり通る時代でしたからね。先輩は神様です✨的なね。ま、悪口言ってるの何度も聞かれたりしたけど 笑



でもね、学校で合宿したり、泊まりがけで試合に行ったり、あの当時は結構ツラいなぁって思ってたけど今になれば楽しかった思い出もたくさんあります。あの頃の経験が社会人生活にいくらかは役に立ったのでは?とも思います。



ちなみに1番の思い出は、高校時代に学校で合宿をしました。合宿中は、夏休み前に引退した先輩がご飯を作りに行くのが我が部の伝統。当時の先輩方はあまり料理経験がなかったようで、お昼ご飯に大量のそうめんが出てきました。




結構デカめの舟盛りに満員御礼😱


1テーブルに4人だったのですがその量舟盛りから溢れるほど😱何度も言いますが、当時は先輩は神様だと思えの時代。先輩がわざわざ受験勉強の時間を返上してご飯を作りに来てくださったのにその作ってくださったものを残すなんてありえないナイフという思想に取り憑かれていました。たった4人で完食できない量のそうめんが置かれています💦諸先輩方の



「どうぞたくさん召し上がれ♡」



にゾクゾクしながら食べるもののまぁ食べきれないよね。ってか、そうめんってそんな量食べるものじゃないやん?しかも味変わらないからそんなに食べられないよー😭だけどその内、4人の中の1人が


「わたしもう食べられない✋」


って早々に脱落💦いやいや、それみんな思ってるし😱みんな限界突破でがんばってるんやん?ひとりだけ逃げるなんて卑怯だぜー!という思いとは裏腹に「もう無理」だと言えないあたし。結局、あたしと別の子とたったふたりで舟盛りを撃破。味が変わるよねーって麦茶にネギを入れたり(頭おかしくなってた)変なテンションのまま完食しました。周りの班の子たちから拍手喝采でしたが、他の班の子が



「ウチのそうめんまだ余ってるけど食べる?」



って言われた時はさすがに殺意が芽生えました銃もう散々食ったわむかっって話です。結局周りを見たらほとんどの班がかなりの量を残していて、無理する必要はなかったのだと悟りました。ちなみにこの一件から20年近くそうめんを食べませんでした。身体が一生分のそうめんを食べたと思ったのでしょう🤔こんな経験を経たという話をしたら、帰宅部だったオットはあたしの思想は全く理解できないらしいですもやもや


数名の方からリクエストをいただきましたのでキラー時の写真をと思います。


当時はこんな感じのJKでした。


ちなみにあたしはど真ん中。一応モザイクかけてるからオヤジキラー度があまりうまく伝わらないかな?小麦色に焼けてて数学の先生からは「エチオピアからの留学生」と言われてました。今なら完全にアウトの表現ですが平成初期ではアリです🐜

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する